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하라미이시 몬도의 할복과 오코치의 구명편집 표제

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去程に人者只、情あれ。原見石主水が屋敷得、御鶚それ而入ける時者、折折うらの林得入せ給ひ而、すゑ上させ給へば、主水申樣は、三河の忰に、あきはてたりと、度々申つるを、御無念にも思召けるや、三拾七八年程へて後、遠江之國、高天神之城を、甲斐之國の、勝賴方寄持けるを、押寄而、堀を掘、堄をゆい、塀柵付而烯害させ給ひし時、原見石主水も、其時城に籠ける。早兵粮米も盡きて、切而出けるを、生取而此由を申上ければ、其原見石と申者、我昔駿府につめて有し時に、上原得、鶚つかいに出るに、原見石が林得、鶚のそれて入時、すゑ上に入候へば、三河のせがれに、あきはてたると、度々に置而申つる。我も侾たり。原見石も可㆑存。とてもわれにあきたる原見石なれば、とく〱腹を戮申との御諚成。原見石、最後もよかりける。尤其儀成、悔敷事に非とて、南得むきて腹を切りけるを、そば寄申けるは、さすがの原見石程の者が、最後をしらずや、西にむきて腹を切と云ければ、原見石が申、汝物をしらずや、佛者十方、佛土中、无二亦、無三、除佛、方便說と、說給得者、西方にばかり、極樂者有と斗思ふか、荒胸狹や。いづれの極樂を嫌はんやとて、南にむきて腹を切けり。然所に、大河內と申者は、其比再々御前得も參、御用をもたして、御奉公ぶりを、いたしたる者なれば、城寄も何時切而出るとも、汝等は石川伯耆守責口之前に、石風呂のありける中得入而居よと仰せければ、御意之ごとく、大河內は、石風呂之中にぞゐたりけるを、命を御扶被成、其耳成、物を被下而、送り而國得御返しあり。能あたり申大河內も、惡あたり申。原見石も一つ時、一度に高天神の城に籠りて、城をば一度に出るとは申せども心に哀見を勿而、人に能あたりたる者は、天道の御惠に仍、忽に、打死をする所を命を佑る。御幼少之御時、能あたり申ならば、此度の命は、無㆑遖佑べきを、心に慈悲を持去故に仍、討死の場に而、生取れ而、腹を切たる儀は、主之奉公には、同事にはあれ供外のきけいと申、其身之ためには、迷惑成。是を見に付而、只人者慈悲之心を本として、人を惡する事なかれ。