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노부나가와의 화목과 도조성의 항복편집 표제

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其後信長と御和談被成し寄は、此城々得御働は無。但西尾之城と東條之城は駿河方なれば、節々之御働成。吉良殿も惣領の義藤は、淸康之御ためには妹婿なれば、家康之御ためには大姑婿成に寄而、駿河得下申而、藪田之村に置奉、舍弟之義諦を義藤寄西尾の城に置給ひしを、東祥之城得義諦をうつし給ひて、西尾の城得は牛久保之、牧野新次郞を留守居に申付而置。然所に松平主殿助殿は中島之城に東條にむかはせ給ひ而御而、日々夜々の迫合ゐ摝かまりに無㆑隙して、寸ん之隙を不㆑得。然間東條寄中島得働けるに、引羽に主殿助殿餘り手ぎつく付給得ば、敵方取而返而こんずこまれつしける處に、主殿助殿打死をし給ふ。其をきをいにして敵は引のく。然者又荒河殿は義諦得逆心をして、家康之御手を取、坂井雅樂助を荒河得引入而西尾之城と日々夜々にせりあいければ、牧野新次郞もこらゑずして城を渡して、牛久保得行。其寄西尾之城には坂井雅樂助を置給ふ。東條之城得押寄而取出を取給ひ而、小牧之取出をば本多豐後守が持。醅塚之取出をば小笠原三九郞が持。共國之取出をば松井左近が持。本多豐後守手に而、藤瀿畷に而九月十三日にはげ敷せりあゐ有而、義諦のおとなの飛長半五郞を打取、味方には大久保太八郞、鳥居半六郞など打死をする。義諦も半五郞を打せ給ひ而寄、弄して頓而降參して城を下させ給ひ而、御扶持方に而御。半五郞は其年二十五に成けれども、武邊之者なれば敵味方共に申けるは、半五郞打死之上は、落城程有間敷と申せしは、年にもたらずして半五郞者斯被㆑申けるは、手柄成とほめたり。