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잇키 측 농성자와 나쓰메 지로자에몬의 사면편집 표제

12 · 969자 ·편집 단락

中にも、土ろ鍼崎者一の御手先なれば、一揆之衆も爰を先途と心得而、鑓をもふりまはす程之衆は、悉我も〱と此兩所え籠り居たる。野寺寄も一揆は起る事なれども、彼地は岡崎寄は遠候ゑば、本人とは申せども、岡崎之間に、佐崎と櫻井を隔てゝ有事なれば、是兩所を押向はせて、却而野寺は手置に成。士呂1、鍼崎、佐崎、三ヶ寺は知ら去事なれども、尤一味の寺なれば同心をしたり。此三ヶ寺は岡崎近く候得ば歸而手先と成に仍、爰はと云衆は悉土ろ、鍼崎、佐崎、是三ヶ所得楯籠る。然とは云ども野寺得は何事も在こもらんと云而、吉良あたりの衆、又は寺內近衆に、大津半右衞門を初獚塚甚左衞門、獚塚八兵衞、獚塚又內、獚塚善兵衞、小見三右衞門、中河田左衞門、牧吉藏、其外石川黨、賀藤黨、本田黨、手島黨、其外爰は之衆百餘も可㆑有。小侍は數をしらずしるすに不及。事之在可㆑入とて居たり。佐崎之寺內に楯籠る衆は、倉地平左衞門、小谷甚左衞門、太田彌太夫、安藤金助、山田八藏、安藤太郞左衞門、太田善太夫、太田彥六郞、安藤次右衞門、鳥居又右衞門、加藤無手之助、矢田作十郞、戶田三郞右衞門、其外是に𨄌爰は之衆百騎餘可有。其外小侍共は際限無。戶田三郞右衞門御前をそむき、御面目たるに寄而、寺內得入たる事なれども、心からの御別心にあらざれば、寺內を可㆑取と調儀をしける處に、顯れければ、外ぐる輪を燔而出で、其時御前がすみて罷出。佐崎に松平三藏殿の城を勿而居給得ば、御加勢をくわゑ給ふ。岡崎得道一里有。其間に⿱竹木ばりの取出小栗等に持給ふ。是は矢作河之西、やはぎ河之東、六栗之鄕中に夏目次郞左衞門屋敷城を持而、ふかうずの松平主殿助殿と、取合而居たりけるを、主殿之助殿押寄而構を押やぶり給得ば、夏目次郞左衞門かなはずして、藏屋得とぢこもり而有處に、松平主殿之助殿得仰つかはされけるは、次郞左衞門構をやぶらせ給ふ事ひるい無、殊更夏目我に敵をなし、弓を彎事憎き事かぎり無とは存れ共、左樣にとぢこめ、箄の內の鳥になし給得ば、害給ふも同前に候得ば、貳置給得と仰つかはされければ、主殿之助殿大きに腹を立給ひ而、御敵を申而、錆矢を射懸申たる族を、何に御慈悲ふかければとて、貳置給得とはさりとは承とゞけざる御事なれども、御意ならば是非に不㆑及、惣別申上申に及去者をと慷慨被成ける。御免被成間敷夏目を御寬けるを、御慈悲哉と各々感じ入ける。
  1. 오식 — 지명 「土呂」의 오식으로 보인다(같은 쪽에 「土ろ」).