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가네가사키 철수전과 선봉 요구편집 표제

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扨又、信長寄仰被越けるは、御加勢を被成而給候得、北近江得働を、被成候はんと仰被越候得ば、頓而すけさせ給はんとて、御出馬被成けり。元龜元年庚午二月日、信長鐘ケ崎得働らかせ給ひけるに、越前衆つよければ、信長も大事と思召而、家康を跡に捨置給ひ而、さた無に、宵之口に引取せ給ひしを、御存知無くして、夜明而、木下藤吉、御案內者を申て、のかせられ給ふ。鐘ケ崎之、のきくちと申而、信長之御ために、大事ののき口成。此時之藤吉は、後之世の太閤成。然者、信長北之郡得御働被成候はんと思召處に、越前衆は出、方々に取出を取、都得之行通りを停めんとて、三萬餘にて出ければ、信長も急、橫山迄御出馬有而、家康に早々御加勢を被成而被下候得、越前衆罷出申候間、合戰を可被成由仰被越候得ば、相心得申とて其儘御出馬被成けり。信長殊外に悅せ給ひ而早く御出馬有。然者明日之合戰に相定申、一番は柴田、明智、森右近など申付候間、家康は二番合戰を賴入申と云ひて、毛利新助と、兩人をもつ而仰被越候得ば、御返事にとても御加勢申故は、何と被仰候とも、是非ともに、一番合戰を仰可㆑被㆑付と仰被越候得ば、信長之御返事に、家康之御存分尤、左樣に思召可被成、然ども早備組を仕たる事なれば、彼等を一番之やめさする事も、如何に候得ば、同は二番之請取せられ而給候得、其故一番も二番も同意成。二番と云而も時により一番に成事も多き物なれば、兎角に二番を賴入申と御返事有ければ、又押歸而被㆑仰けるは、尤そないぐみを御定之所を、一番を二番得と被仰候得を、如何がと思召すところ、尤承とゞけ申たり。一番も二番も同意と仰せられ候儀、是は承とゞけ不申。尤明日之合戰には、二番が一番にも社成りもや仕らん。其儀は時之仕あはせ、たとゑば二番が一番になると申しても、後之世までの書物には、一番は一番、二番は二番と書きしるして、末世までも可㆑有候間、兎角一番を申可㆑請。其故某が年も寄たる者ならば、三番四番に成りとも被仰候處に可有けれども、三十に足るたらざる者が、家勢に參而、一番を申請兼而、二番に有と、末世迄申傳へに、罷可㆑成事、迷惑仕候。兎角に一番合戰を、仰被㆑付候得、然らずんば、明日之合戰には罷出間敷候。然者今日引拂ひ而罷歸可申と御返事有ければ、信長聞召而、家康之被仰も尤承とゞけたり。左程に思召給はゞ、愈忝存知候。其の儀ならば一番合戰を賴入申と被仰而、明日之御合戰は家康之一番陣成。