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『신초키』의 거짓과 이 책을 쓴 취지편집 표제

28 · 602자 ·편집 단락

扨又信長記を見るに僞多し。三ヶ一者有事成、三ヶ一者似たる事も有、三ヶ一は無㆓跡形㆒事成。信長記作たる者、我々がひいきの者を、我が智惠之有儘に能作たると見得たり。其故は處々に而の勝負之事を書付けるに、先僞と見得けるは、其比、十、十一、十二三に成、西も東もしらざる者が、成人してはるか後に元服して男に成而有間、昔物語に聞し者を、そんぢやうそこに而走り廻り、ひる無高名などと書而、僞を作る事も多し。長篠などの陣にも、せざる高名を相打にしたると云處も有。武者づかひなども、一代つかひたる事も無人を、武者をつかひたると書而有。此外此場に而の事にも僞多し。度々にをいてひけを取、人に後指さゝれたる者を、鬼神之樣に書たるも有。又は度々の高名をして、諸國に而かくれ無覺得之者をかゝざるも有り。ちからの無者を大ちからと書たるが皆僞り成。大ちからと書たる內に、獨力持たる衆は一人も無。結句力は無してがいす成衆多きに、色々加樣に書申事は、思得ば我が目を被㆑懸たる衆之事を、かたも無事をも作たると見得たり。然時んば書者に智惠有而無㆓智惠㆒に似。然間信長記には僞多しとさたしたり。家康御代々の事を是にあらまし書しるす成。一つとして僞と云事を、後之世にも當代にも、をそらく申人者有間敷、然ども人に見せ申とて書不㆑置、我等子供に御八代御九代當相國秀忠樣、當將軍家光樣迄御主樣成。其御末々迄なん代も能御奉公申上奉れ、我寄後しらせんため成。門外不出。