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목차 › 제3 하(第三下) › m3.036

호조와의 화목과 사쿠군 평정편집 표제

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然處にさなだとあしたと一手に成而、うすいを取きらんとしければ、氏直滅亡とや氏まさも思召か、含弟1之北條之左衞門助殿を仰被付れて、一萬餘にてぐんないへ出、見坂を越而東郡へ打出、此方彼方に打ちりて、はう火してらんぼうをして、そなひを亂しける。然所に鳥居彥右衞門と、三宅惣右衞門と、伯父姪をば古府中之御留すいに、おかせられ給ひけるが、此由を聞寄急かけ付ければ、おどろきさわぎける處へ、押寄押寄打ければ、こと〲くはいぐんして、見坂を指而にげ行ければ、左衞門之助殿もから〲の命たすかり給ひて、見坂を指而おちゆき給ふ。然間、彥右衞門惣右衞門兩人之手柄云に不㆑及。さて頸を雜兵五百餘新府中へつけて越ければ、物見場にかけさせ給へば、敵方是を見て何事をするやらん。寄合而走廻りありくとて見ける處に、頸をかけて立のきければ、敵方いそぎ來りて見て歸り、氏直へ申上けるは、何頸やらんこと〲敷かけて見へ申と申上ければ、何頸にて有ぞ見て可參由被仰ければ、各々來り而見て、是は我が親、是は我が兄、甥、從弟、是は我が伯父あに弟と申而、興を醒し頸をだきかゝへてなきさけぶ。氏直もいよ〱是におどろき給ひ而、其儀ならば無事をつくりて合互に引のけべしとて、ぶぢをぞつくり給ふ。然る間ぐんないと作之郡を渡し可申間、然らばぬまたを此方へ御歸しあつて、御ぶぢに被成候へと仰ければ、其儀においては尤可然と被仰候らいて、頓而御ぶぢに成而、まづぐんないを渡し給ひ而、其故氏直はのべ山にかゝらせ給ひ而、作之郡へ出させ給ひ、うすいが峠を越而上野へ出させ給ひ而引入給ふ。家康もかい之國をおさめさせ給ひ而、其寄大久保七郞右衞門を仰被付而、作之郡へ召つかわされ而、御馬は入。七郞右衞門は御うけ申而、午之九月新府を立而、かぢが原にてすわへ使を立而、すわを引付而、ゑんのぎやうじやへ出て、其寄あしたの小屋へゆきければ、早野ざはの城を明、前山之城を燒きはらいてのきけるに、其城へうつりて有に、四方に一里二里之內に小城屋敷城共に十二三有。こむろ之城、ねつごや、もぢつきのあなご屋、內山之城、ゆわをの城、みゝ取之城、かしわぎの城、ひらはらの城、田之口之城、ゆわむらだ之城、うみの口、平尾之屋敷城、あらこの屋敷城、此城々の中へわり入而、四方へ取合而其內に此方彼方を引付けり。まづ岩村を引付而寄、午之年之內に大方引付而、未之年よだ右衞門は岩尾之城をのり取んとて、押寄而のり入處に、右衞門はてつぱうにあたり而打死しける。舍弟之源八郞もてつぱうにあたり而はてけり。兄弟打死をしたりければ其儘引のく。然共敵にしるしは取られず、又七郞右衞門が未之年こと〲く城共を取おさめて、天正十二年甲申之春、上田之城を七郞右衞門が取而、さなだにわたす。
  1. 오식 — 「舍弟」의 오식으로 보인다(저본 후리가나 「しやてい」).