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우에다성 공격의 패전과 오자키 사몬의 전사편집 표제

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然處に天正十三年乙酉之八月に、眞田へ御人數をつかわされける。鳥井彥右衞門、平岩主計、大久保七郞右衞門、すわほうり、しばた七九郞、保科彈正親子、しもぢやう、ちく、遠山、大草、甲州せんぼう之衆、あした、岡部次郞右衞門、さいぐさ平右衞門、屋代越中、是等を指つかわされければ、上田之城へ押寄、二の丸迄亂入ける間、火をかけんとせし處に、しばた七九郞かけよせて、火をかけたらば、入たる者共出る事成がたし。火をかくる事無益とてとめけるは、七九郞若げのいたりか、物に合付ざるゆへか、火をかけずしてかなわざる處之火をやめけり。然間其元を引のけ申す時、案のごとく、火をかけて、やき立る物ならば、出間敷敵なれ共、火をかけざる故に、城寄したいて出る。早しきりに付、各々寄弓てつぱうをあとへさげけるに、大久保七郞右衞門內、本田主水、平岩主計內之尾崎佐門に申けるは、佐門何としたるぞ、其元之樣子殊外、そないがもめて見ゆるは、いかゞ成と申時、佐門こたへていわく、主水能く見たり。只今迄は、昔之てつぱう之者共が有つる間、よく心得而、人之云事をもきゝ候へば、下知をもなして、そないもさだまりてもめず。其者共は、朝寄ほねをくだきてかけ引したりければ、只今西東もしらざる物に合付たる事もなき者共を、かわりに越たれば、あわてふためきて、げぢを云にも、耳にも不入して、事おかしくあわてたる事に候へば、げぢにも付不申間、爰元之儀は、其方など見られ候分に候へば、只今にげちり可申間、佐門は是にて打死を可仕候間、若其方之命ながらへ而、引のき給はゞ、佐門が申つる由、主計によくかたりてくれよと、云もはてざるに、はやはいぐんしたりければ、佐門はことばの如く、場をさらずして、打死をしたり。鳥井彥右之者共は、一段高き所を引のきけるに、戶石之城寄出而付、是もきつ〱と付ければ、早ならざる間、ご見孫七郞が、人にすぐれてはしり出、鑓をくり出し、ひざぐるまにのせていたる處へ、敵おふぜい押かけければ、つつたちて、おふぜいの者共と、花々とつき合而、場もさらず、うたれければ、其より彥右の衆は、はいぐんしたり。七郞右衞門者は、乙部豆吉、本田主水兩人弓、くろやなぎ孫左衞門てつぱうにて、押合而のきける。此外にも十二三人可有けれども、跡には此者共がのきけるに、乙部豆吉が一之矢をはなして、射外し、二の矢をつがはんとしたりける處を、早突きふせて打處を、くろやなぎ孫左衞門が、立はだかりて、てつぱうにて豆吉を、打者をはなしてのきければ、其よりこと〲くはいぐんして、諸手之衆が四五町之內にて三百餘打れける。