然間へき五右衞門が申は、河中島衆之早くすけ來りたりと思ひ、味方と心得て、敵之中をとおりける處に、大久保七郞右衞門弟の平助に、つかれたると云ければ、平助云は、いや〱我もつきはついてあれ共、我が突く鑓はまげられ而、五右衞門にあたらず。けた甚六郞とて七郞右衞門者が、やりがあたる成。我にはあらずと云けるが、五右衞門は、平助につかれたるといへば、おぼへと心得而云けれ共、平助はつかぬと云。然間敵之中へ入而味方が歸しくるかと見ける處に、十七八なる童が一人、敵としらずして來りけるを、天野小八郞がつかんとしける處を、平助が見て、せがれにて有ぞ、むごきにゆるせとてゆるさせける。今思ひ合せ候へば、是等ほどよき高名は有間敷物をと、平助も若げのいたりにて打せず。坂井與九郞高名も其の時之高名を、御旗本にてはくづれくちの高名と云て、世にかくれなきやうに申共、一つ時之高名にて候つるが、與九郞高名は七郞右衞門旗之立たる處をしらでかけ入たる者なれば、味方の中にて打たる高名成。小八郞に平助が無用と云たる場は、與九郞高名の場寄一町程敵之中へ行過、敵の中にての事なれば、高名をせでさゑ此者共には、高名したる衆之口は開ざるに思へば、其時討すべきを然間敵之中にて味方の歸すかと見ける處に、何かはしらず、廿騎斗本道を石橋之方へ歸してくると見て、平助は其寄むかうの敵にむかひ而、歸し來る衆と一手にならんと思ひ而、押こみてゆきける處に、一度に行ける者共は、其時は一人も來る者なき所に、天方喜三郞斗來る。然間歸し來る馬乘を見てあれば、一人も見しりたる人なし。其時喜三郞是寄はゆく間敷ぞ、見しりたる者は一人もなし。只今此者共はくづれべきと申もあへざる處に、我さきにと迯げ行く。もとより敵は五六間之內にひかへたる事なれば、ほどなく乘り付けり。石橋之有ける處にて、天野金太夫と小笠原越中と、なみきり孫惣と、兩三人がことばをかわして申は、平助が是をのく程に見捨てまじきとて、平助に詞を孫惣がかけける。見すてまじきと云ければ、三人は馬にのりたり。平助はおり立而、徒步なれば、いらざるをかしき事ないひそと云てのく。