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목차 › 제3 하(第三下) › m3.058

덴노지 어귀에서 하타부교의 헤맴편집 표제

58 · 1,051자 ·편집 단락

然る所に御旗奉行の衆今度うろ〱としたるを內々聞召被成候哉、御旗の衆一人は甲斐國の者ほさか金右衞門とて武邊もなき者なり。一人は丹波の者せうだ三太夫と申者なり。是も武邊の有もなきも御普代家にては人しらず。御鑓奉行の者、一人者武藏の者、若林和泉と申者なり。一人は三河の者大久保彥左衞門と申者、是は相國御代御七代召つかわさる。其身の先祖つたわり申、御普代のものなり。然ると申處に、御旗奉行の衆御鑓ぶぎやう衆を下目に見て、何事をも御眼力をもつて御旗を我等共に仰被付けるとて物ごと談合をもせず、御鑓ぶぎやう衆はおか敷事申者共哉、出頭人を取むけて有ればこそ彼等に御旗をば仰被付たり。彼等が武邊もしりたり、あすが日にも見よ、彼等が何事もあらば御旗を取まわすすべをばしる間敷き。又依怙をして彼等を取立んとしたる衆本多上野其外の衆の胴骨をもよくしりたり。此衆が武邊定の事をかしき腹すぢなる事なり。只今座敷之上にて何かの事云て依怙したり共、何事もあらば見よ、えこしたる衆迄も恥をかゝせ可申と云ける處に、相國樣は岡山の方へあがらせ給へば、御旗をば住吉迄押て行、住吉にて相國樣の御座被成候方をしらずして、十方をうしなひて其時御鑓ぶぎやう衆とだんがふ申せ共、御眼りきにて御身達には御旗を仰被付たり。斯樣の時のためにてこそ、御眼力のちがわざるやうに可被成とて一ゑんかまはざれば、重々云寄て彥左衞門云は、然者御旗を阿部野の原へ押上て、あれなる大塚へ兩人かけあげて御馬じるしの見えば其方へ押給へといへば、尤とて御旗をあとへ押返てつかへ上て見けれ共、御馬じるしは見えずと云。其儀ならば阿部野の原を押上給へと云ば、天王寺をさして押上げるに、中程にて御旗立ける處へ、彥左衞門がかけよせて、何とて敵ちかき所にて御旗をばふらめき給ふぞ。ちやうす山を左にして押上給へと云ければ、ほさか金右衞門が申は、御身はへたくらしき事をの給ふぞ。ちやうす山なるは敵にはあらずやと言ければ、大久保彥左衞門云けるは、御身こそへたくら敷旗をばたつれ、ちやうす山のを敵にてなきとはたれか云ぞ。ちやうす山のが敵なればこそ、御旗を遲々せずして左へ押上給へと云。相國の御旗が昔よりついに左樣にふらめきて敵にへりたる事なし、たゞちやうす山を左になして押上給へと言けれ共返事もなき。良有て天王寺の方へは押ずして東の方へ押ける處へ、又大久保彥左衞門かけ付て、何とて敵を後になして左樣に御旗をば押給ふぞ。御旗がまくれて見ぐるしきに、莵角ちやうす山を左にして押上給へと云へ共耳にも不入。