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오사카 전투 후의 조사와 무공의 증인편집 표제

61 · 919자 ·저본 줄바꿈

其後相國樣京都にて今度大阪にてのよきあしきの御せんさく被成けるに、あるいはでんちやうらうに相申たると云人も有り、又はそうてつ法印に相たると云人も有、あるいは我々互に云合て證人に立相たる人も有、事おかしきせう人成。昔は出家や醫者などを武邊之證人に立たる人をば、中々付合もせざれ共、今の世は末世にも成り、出家といしやが武邊の脈とり、又は察しれば武邊に成と見へたり。又は度々の武邊のしたる者を、昔は武邊のせう人には立て有に、一代之內敵のかほの赤きも黑きもしらざる者を、武邊のせう人に立る事、腹筋のいたきほどおかしき事なり。相國樣はもとより度々合戰に合付させられて、日本の事は申不㆑及異國迄も隱れなき御武邊第一之相國樣なれば、おかしくは思召共それ〲に被成而、打おかせられ給へば、申霽れたると思ひ而武邊顏をしていたる人おほし。古き武邊者共は目引鼻引わらひてこそいたり。其故武邊のしなも多し、昔はくづれくちの武邊をば武邊とはいわず、但しくづれざるまへにたがひにつゞゑてまほり合たる時之武邊をば、よき武邊とてほめたり。敵くづれたる處へ人さきにかけ入たると云共、其儀は昔はほめず、のきぐちの武邊が成がたき者なり。然間のきぐちの時手きつくて敵につかれ申時は、五人十人には過ざる者に候間、のきぐちの武邊を昔はほめ申なり。又こゝに只今はおもしろき事を云、兜をきたる者の頸を取ては、もぎ付と云事昔はなければ只今聞當世流か、昔は小者中間ふ丸之頸なりとも、押つおされつ之處にての頸か、又は槍下の頸か、深入をして打たる頸などの手がらなる處にて取頸は、何くびにてもあれ手がらと云たり。今度之大阪などのやうにの追ひ頸をばかぶときたり共、たとへば大將のくびなりとも手がらの高名とはいわざるに、大阪にてかぶと頸を取たるとて利口する事のおかしや。然どもくづれてにぐる人が歸しししたる武邊をば、其儀をば殊の外にほめあげたり。今度は始めよりくづれたる敵なれば、各々馬にておひかけければ、何時もか樣に馬にのり而合戰は可有と斗、たうせいの衆は心得候へども、合戰の時は皆々馬よりおひおろして、馬をば後備ひよりはるかにとおくやる物とはしらずして、何時も馬にのりてあらんと斗言もはかなき事なり。