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목차 › 제3 하(第三下) › m3.077

호키노카미 출분 때의 고모로 잔류편집 표제

77 · 806자 ·편집 단락

又有時は石川ほうき守逆心のして太閤へ引のきける時は、大久保七郞右衞門は信濃之國こもろに有ける。ほうき守がべつしんなるに、七郞右衞門に急き罷上候へとおり付〱御ひきやくの立ども、七郞右衞門覺悟をもつて信濃を治め給へば、只今爰元を引はらい申者ならば、信濃は御手に入間敷と思ひて立かねたる處に、重々御つかひなれば、其儀ならばたれぞのこしおかんとて誰居りて吳よ、かれおりてくれよと賴候へども、伯耆守のき候故は上ても打死をすべし、また爰元に有りても打死をすべし、然る時んば女子共は何と成たるもしらずして、止まり申す事思ひもよらずとて、あらんと云人一人もなし。其儀ならば御ほうかうは何れも同前なり。平助是にて打死をしてくれよかしと被申ければ、彥左衞門申は何れも御ほうかうと承る。同御ほうかうならば罷上て御目の前にての打死は御目に見ゆべし。爰元にての打死は同打死なれども、幕の內の打死、人もしるまじければせんもなし。罷上て御旗先にて打死を可申。其故母と女房を頓てはうき守足の下におきて何と成たるをもしらず。母之儀は、御貴殿と次右衞門權右衞門にも母なればあんずる事なし。女房の行衞もしらずして是に有所に有らずと申ければ、七郞右衞門申は尤の儀なり、何かもいらず、其方をとゞめおかねば爰元の衆も心とまらずと申儀は尤なり。御ために立つる命と云、又は我等に命をくれて是にあれかしと被申候に付て、其儀ならば尤の儀、是に可有、早々御上あれとてのぼせける。然る間上方はみだれて七郞右衞門こそ取敢へずに上たると云て、こゝもかしこもそゝめきけり。然る處に信玄の御子に御せうどうどのと申て御目くら子の一人、越後の國に景勝のかゝゑておき給ふが、其御父子を甲州へ入奉ると申てさゝやきける。か樣の時もゆくへもしらぬ他國へ、十日路行て人のいかねる處に、命をすてゝ御ほうかう申上候。然どもはうきの守させるくは立もせざれば、おのづからしづまりければ何ごともなし。