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다이코와 히데요리에게 돌아간 인과편집 표제

84 · 868자 ·편집 단락

さて又太閤の關白殿御べつしんとて腹を切せ奉りて、御手かけ衆を三十人斗、何れもれき〱の衆の娘達を、三條磧へ引出して頭を切て、一ツあなへ取入て畜生塚と名付て、三條につかを築給ふ事も因果、又三七殿は信長の御子なれば、太閤のためには主にて有物を、ぬまの內海にて御腹を切せ給ふ事も因果なり。昔は長田今は太閤なり。又家康樣へ毒をまいらせんと被成けるに、座敷にて御しき代を被成て、御座敷が大和大納言の、上座より下座へ御さがり被成候故に、其御膳が大和大納言にすわりて、太閤の舍弟の大和大納言まゐりて死給ふ。是と申も相國樣御じひにて御正直故に、天道の御惠深くして不被參、大和大納言の參りたるも因果なり。其後秀賴の大阪にて相國樣に御腹を切せ奉らんと有りけれ共、ほぐれてならざる事なれ共、御じひ故に秀賴をたすけおかせられ給ふ。其後又諸大名を語らひて、伏見にて取かけて御腹を切せ申さんと專支度をしけれ共、思ひもよらずならざる事なれば打過ぬ。其後あひづ陣へ御出馬の御跡にて諸大名をかたらひて、手を出して伏見の城をせめてやきくづし、各を打取て其きおひに關が原へ押出して、合戰して打まけける時、御じひ故たすけおかれ、それのみならず、いなりに大阪の城におかせられ給ひけるに、其御恩をもしらずして今度又諸國の浪人を拾萬に及てかゝゑて、御敵をなし給ふ所に、押寄させ給ひて城を取卷給へば、又かうさんのしければ、こりさせ給はで、御じひの深きゆゑに赦りさせ給へば、又次の年手出しをして、堺の町をやきはらへば、又々兩將軍樣御出馬有りておひくづさせ給ひ、なでぎりに被成ければ、運のすゑかや町も城も一間も殘らず、二時の內にやけはらいける。天主に火がかゝりければ、秀賴は御母を打連させ給ひて、山里ぐるわへ出給ひて、又かう參を乞給へば、御じひにて御思案有けるが、いや〱又生けておくならば、又もや不覺悟可有に、腹を切せ申せと御意なれば、押かけて腹を切給へと申せば、火をかけて燒死に給ふ。是と申も太閤の因果又は御とがなき相國樣へ度々におひてそむかせ給ふ因果なり。是を思へば因果と云事も有物か、