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當代記卷五 第212条

西暦 1610年4月(グレゴリオ暦)(月は朔日基準)「此比」など概略

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此比高野山衆徒行人聖、何も背云事、駿府に在㆑滯、衆徒中云事は、去々年當遍照光院と按察使坊との云事有し時、遍照光院衆儀有て、按察使を可㆑被㆓押籠㆒との使を立たる間、按察使則遍照光院へ往、菟も角も可㆑成由被㆑申けるに、遍照光院折節此儀を門弟衆儀談合せられけるとて留守たり、然處へ此旨を弟子告來る、則其衆儀衆有㆓評定㆒、按察使坊に被㆓押籠㆒、然共指たる依㆑無㆑科、長々敷置けるに、あせて駿府へ下、事由令㆓言上㆒間、遍照光院其外、其時の衆儀の衆を召下被㆓相尋㆒けるに、按察使不㆑違㆓言上㆒、大御所甚有㆓氣色㆒、遍照光院を搦取、乘物にて國送に高野山へ被㆑遣、其上被㆑加㆓誅戮㆒、右の衆儀の門弟共被㆓流罪㆒、其上按察遍照光院へ移、高野山於㆓云事㆒は、向後可㆑任㆓存分㆒由印判被㆑出間、去々甲申年1より以來、彼按察使成㆓遍照光院㆒、衆徒の坊々をも任㆓我意㆒、無罪をも追出、我氣に應する僧を置、傍若無人の仕置也、然間法性院の門弟共、無㆑過して多以被㆓追出㆒條、當春相下在府と云共、遍照も在府、殊大御所氣色好ありけれは、日日出仕の間、法性院令㆓言上㆒事不㆑協して、于㆑今駿府に滯留也、又行人と聖との云事は、聖に家の高棟を可㆑止との儀也、聖は自前に如㆑斯仕來由言上也、此後大御所如何可㆑有㆓下知㆒哉、惣別近年彼一山云事不㆓斷絕㆒、佛法末世の今如㆑此儀、爲㆓天魔障碍㆒歟、此已後遍照光院と法性院有㆓對決㆒、大御所直聞屆給、去々年遍照光院へ被㆑出し朱印召返、法性院へ被㆑渡、法性院被㆑播㆓面目㆒、
  1. 誤植 — 底本「去々甲申年」。「去々戊申年」の誤植か(慶長十五年の記事で、一昨年は慶長十三年戊申)。

この条の人物 ・・・