索引:人物 › 按察使坊(高野山)
按察使坊(高野山)
本文表記 按察使・按察使坊・遍照光院・按察・遍照
1610年(慶長15年)
- …、駿府に在滯、衆徒中云事は、去々年當遍照光院と按察使坊との云事有し時、遍照光院衆儀有て、按察使を可被……光院と按察使坊との云事有し時、遍照光院衆儀有て、按察使を可被押籠との使を立たる間、按察使則遍照光……儀有て、按察使を可被押籠との使を立たる間、按察使則遍照光院へ往、菟も角も可成由被申けるに、遍……、然處へ此旨を弟子告來る、則其衆儀衆有評定、按察使坊に被押籠、然共指たる依無科、長々敷置ける……光院其外、其時の衆儀の衆を召下被相尋けるに、按察使不違言上、大御所甚有氣色、遍照光院を搦……被加誅戮、右の衆儀の門弟共被流罪、其上按察遍照光院へ移、高野山於云事は、向後可任存……任存分由印判被出間、去々甲申年より以來、彼按察使成遍照光院、衆徒の坊々をも任我意、無罪を……無過して多以被追出條、當春相下在府と云共、遍照も在府、殊大御所氣色好ありけれは、日日出仕の間、……、佛法末世の今如此儀、爲天魔障碍歟、此已後遍照光院と法性院有對決、大御所直聞屆給、去々年遍照光……照光院と法性院有對決、大御所直聞屆給、去々年遍照光院へ被出し朱印召返、法性院へ被渡、法性院被播…
この索引は編者の判断による比定を含みます。詳しく