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三宅康貞
本文表記 康貞・三宅惣左衞門康俊・惣右衞門尉藤原康貞・惣右衞門尉康貞
鳥居 第四中 · 1
- p001…古府中に陣を取る、北條左京大夫氏直、武田が國を爭うて、甲斐國に向ふ、元忠三宅惣左衞門康俊等と、御方わづかに六百餘人の勢を以て、左衞門大夫氏勝が北條一萬餘騎…本文:惣左衞門康俊
三宅 第四下 · 6
- p001…惣右衞門尉藤原康貞は、備前國兒島三郞三宅高德が後胤なり初め高德南帝の御方として、終に所領を…
- p001…が代に至て、德川殿に屬し參らせ、年七十歲にして、天正十五年にぞ死しける、惣右衞門尉康貞は政貞が嫡子、母は鳥居伊賀守忠吉が女なり、諱字給て康貞とは召れけり、永祿…
- p001…しける、惣右衞門尉康貞は政貞が嫡子、母は鳥居伊賀守忠吉が女なり、諱字給て康貞とは召れけり、永祿十一年十一月寄騎の侍を屬られ、度々の高名、數を知らず、…
- p001…信と同しく御供し、關東に移らるゝ時、武藏國瓶尻の地を領す、五千石、此時康貞の弟彌二兵衞正次も、武藏、指扇の地五千石を給ふ、正次は慶長二年十二…
- p001…慶長二年十二月に伏見に於て久野民部と戰て死すといふ、關が原の戰には、康貞康信父子、遠江國橫須賀城を守り、軍終て後、康貞伊勢國龜山の城を守る、慶長…
- p001…といふ、關が原の戰には、康貞康信父子、遠江國橫須賀城を守り、軍終て後、康貞伊勢國龜山の城を守る、慶長九年所領の地加賜て、本國加茂郡擧母の鄕に移り、…
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