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三河野田城
本文表記 野田の城・野田・野田城
菅沼 第十一 · 12
- p003…定盈が祖父新八郞其名つたはらず同國野田の城に移り住む、定盈父祖に繼き野田の城に住して今川に屬す、永祿の初め今川上總…
- p003…盈が祖父新八郞其名つたはらず同國野田の城に移り住む、定盈父祖に繼き野田の城に住して今川に屬す、永祿の初め今川上總介氏眞德川殿と中たがひし、當國の住…
- p003…參る者多し、定盈又德川殿に組みし參らす、氏眞安からぬ事に思ひ、夜に乘して野田の城を襲ふ、定盈無勢に多勢叶ひ難く、一方打破て岡崎の城に參る、氏眞頓て駿河の…
- p005…元龜元年の夏姉川の合戰には、野田の城に留り守る、同き三年十月甲斐の武田大膳大夫入道信玄、德川殿に中たがひして…
- p005…す、定盈同次郞右衞門尉、二人ばかりぞ日頃の契を違へずして、德川殿の御爲に野田の城に立籠る、去程に十二月廿二日味方が原の合戰、武田入道うち勝て刑部に陣を取…
- p005…方が原の合戰、武田入道うち勝て刑部に陣を取り、明れば天正元年正月十一日、野田の城に押寄せたり、德川殿かねてより定盈が加勢として、松平與一郞忠正を差向けら…
- p005…とて、德川殿に使者を參らせて、それに候ふ東三河の國人等が人質賜らんには、野田の城にて生捕つたる二人の者をも、返し參らすべきにて候ふと云はせたり、さらば賜…
- p006…此時德川殿は野田の後卷あるべしとて、速に濱松の城を出させ給ひ、笠取山に陣取り給ひ、信長の…
- p006…味方利なかりしと聞て、信長とかく躊躇ひ給ひし內に、城は落てけり、信玄入道野田の城攻めし中より、忽に違例して本國に趣き、四月十二日に卒しぬ、○或記に曰く野…
- p006…城攻めし中より、忽に違例して本國に趣き、四月十二日に卒しぬ、○或記に曰く野田の城に籠りし兵に、伊勢の芳休と云ひしは、かくれなき尺八の上手なりけり、或夜櫓…
- p007…幾程なくて武田入道死してければ、定盈また野田の城に還り住む、武田入道の男四郞勝賴、又參河國に向ひて野田城を攻めんとす山…
- p007…れば、定盈また野田の城に還り住む、武田入道の男四郞勝賴、又參河國に向ひて野田城を攻めんとす山家三方の輩案內せしなり定盈城中より切て出で散々に戰ひ…
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