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伊達政宗(大膳大夫)
本文表記 政宗・大膳大夫政宗・此人
伊達 第七下 · 10
- p002…其儘にも記すべからざれば、こゝに註して、本文は畧す、世に知れる人なれば、大膳大夫政宗よりしるす、系圖の傳ふる所は、政宗は朝宗が八代の孫といふ、…
- p002…文は畧す、世に知れる人なれば、大膳大夫政宗よりしるす、系圖の傳ふる所は、政宗は朝宗が八代の孫といふ、…
- p003…中納言政宗八代の祖をも大膳大夫政宗とぞ申ける、代々陸奧伊達郡に住しけり、此人累代弓箭の業を續て、其道の事は…
- p003…中納言政宗八代の祖をも大膳大夫政宗とぞ申ける、代々陸奧伊達郡に住しけり、此人累代弓箭の業を續て、其道の事は云ふに及ばず、當國長井の庄をば此人の時…
- p003…けり、此人累代弓箭の業を續て、其道の事は云ふに及ばず、當國長井の庄をば此人の時に打從へしとなり、敷嶋の道に心を寄せ、よめる歌、秀逸多く、文武の…
- p004…系圖幷に世に傳ふる系譜等に曰く、新續古今集撰せられし時に、此政宗かきすつる、もしほなりとも、このたひはかへさてとめよ和歌の浦人といふうた…
- p005…其後應永二年乙亥九月十四日に卒す、家を保つ事二十二年なり、公方勝定院殿政宗が身まかれりと聞し召て、ものゝふの、あとこそあらめ、敷しまの、道さへ絕え…
- p005…いふ御歌に、紺紙金泥の法華經そへて給ひしと云々、右案るに、此說の如くば、政宗が應永二年に卒せしといふ事も、覺束なし、まづ新續古今集を撰ませられし事は…
- p005…勅を受けて、同き十年八月廿三日に奏覽を經て、同十一年に返納せられ終んぬ、政宗卒せしといふ應永二年より、三十三年の後に、初て此集撰すべき由を勅せられ、…
- p006…と見えき、是則ち中納言政宗の父なり、輝宗初め子息二郞が元服せし時、先祖大膳大夫政宗、文武の名譽、天下に隱れなかりき、されば汝も又あやかり參らせよとて、政宗…
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