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保科正之
本文表記 正之朝臣・幸松丸殿・正之・肥後守正之朝臣・保科肥後守殿・肥後守殿・肥後守正之・保科肥後守正之朝臣
保科 第一 · 8
- p001…、再ひ兵起りし時、大御所に隨ひ軍し、首十四切て獻る、正光嗣なかりしかば、幸松丸殿を養君とし參らせたり、台德院殿大相國第三の御子、御母はお靜の御方淨光…
- p001…德院殿大相國第三の御子、御母はお靜の御方淨光院殿と申しゝ御事なり、幸松丸殿生れさせたまひて、武田万千代殿御母見性院殿とりて養ひ給ひしを、正光また…
- p001…りなきにあらざりき、正光卒しぬれば、卒せし年月日未だ詳にせず、幸松丸殿其家を繼、元服し玉びて、從四位下肥後守正之朝臣とぞ申ける、寛永十一年侍從…
- p001…卒せし年月日未だ詳にせず、幸松丸殿其家を繼、元服し玉びて、從四位下肥後守正之朝臣とぞ申ける、寛永十一年侍從に任し、十三年七月廿一日出羽の國山形の城を賜る…
- p002…○正之朝臣に、山形の城賜りし前に、將軍家御鷹狩のために、目黑の邊にならせ給ひ御供四…
- p002…へば、のたまふやう、こゝは江戶遠きさかひなれば、然るべき檀那とてもなく、保科肥後守殿と申の御母うへが、常には祈禱の事など御賴みあれども、夫れも家まづしければ…
- p002…々なり、これにわたり玉ふ人々も、將軍の御家人と承れば、申も恐れなれどあの肥後守殿と申は、今の將軍家の正しき御弟と承るに、僅かの地領し、貧しくわたらせ給ふ…
- p002…逢はんと、一月斗りが程は、門の外に足音高く人の過るにも、魂を消す、程なく正之朝臣へ多くの地附て、山形の城參らせられ、また目黑の寺にも、其事となく、地寄附…
堀田 第六 · 7
- p003…べき料とせらるべし、依て今は正信が領する所の城地悉く返し奉るの旨を載せ、肥後守正之豐後守忠秋を上所にしたり、…
- p004…かくてこの事披露ありて、正之朝臣を先として執政の人々僉議ありしに、伊豆守信綱一人、上野介が心狂じてこそか…
- p004…ける、さるは此諫書のさす所、偏に信綱が執する所を深く非するに似たり、また正之忠秋ばかりを以て上所とす、これといひ、かれといひ、信綱、上野介が所爲を憎…
- p004…れといひ、信綱、上野介が所爲を憎み思ひ、かく申し妨くるにやと思ひけるが、正之朝臣は、たとへ正信が諫め申す所、一々其理を盡さずとも、世を憂ひおのが家をも身…
- p004…申さるべきと宣ひけれども、信綱は正信が狂氣疑ふ所あるべからずとのみ爭ふ、正之朝臣重ねて、正信は故加賀守が嫡子にて、其身もかく忠を存ずる者なるを如何であへ…
- p004…は、如何なる罪をもゆるし宥めらるゝこと、勿論の事に候ふ者をと云ひしにぞ、正之朝臣を始として、一座の人々誠に深き慮りにて候ひき、夫迄の事は、思ひも寄り候は…
- p005…頓て安藤對馬守同市兵衞、佐倉の城に行向て、正之忠秋の旨を述ふ、諫め申さるゝ所、承りぬ、さりながら其城に引籠て居給はんに…
松倉 第十二下 · 2
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