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加藤明成
本文表記 明成・式部少輔明成・休意
加藤 第七下 · 19
- p002…く賜り、獻る物また少からず、初め大坂の兵起りし時、其身は關東に留り、子息式部少輔明成、軍勢を率して馳せ向ふ、再ひ兵起りしかば、將軍家の御陣に從ひ、明成又軍勢…
- p002…部少輔明成、軍勢を率して馳せ向ふ、再ひ兵起りしかば、將軍家の御陣に從ひ、明成又軍勢を率ゐて馳せ向ふ、首百九切つて獻る、此年元和元年、嘉明從四位下に叙…
- p003…か所領合せて五十万石なり同き八年九月十二日、嘉明六十九歲にして卒す、式部少輔明成、家を繼く、寬永十一年七月十六日、從四位下侍從になされ、武家補任には元…
- p004…明成が遁世せし事は、父の時より家の老に堀主水と云ふ者ありけり、明成は父に似ず…
- p004…明成が遁世せし事は、父の時より家の老に堀主水と云ふ者ありけり、明成は父に似ずして、世人の嘲り笑ふ政事などありしを、かの堀、事に觸れては諫む…
- p004…なりき、堀が從者と或者の從者と、爭論の事出來たり、堀が從者、非據たる由を明成决斷す、誠は堀の從者の申す所、理ありければ、堀重ねて、これを訴ふ、故に堀…
- p004…て、鐵炮を放ち、辰の時ばかりに、倉兼川に至り、往來の橋を燒斷ちて去りぬ、明成此由を聞て、討手を差向けしかど、打漏しぬ、堀は鎌倉に忍ひ居たりしに、討手…
- p004…漏しぬ、堀は鎌倉に忍ひ居たりしに、討手むかふと聞えしかば、高野山に趣く、明成使者を立て、速に搦め取つて出さるべきよしを云せけるに、此山には來らぬよし…
- p004…て、速に搦め取つて出さるべきよしを云せけるに、此山には來らぬよしを答ふ、明成大に怒て、おのが所領に替て、かの家人を追捕せん事を訴へて、既に軍兵を高野…
- p004…野山に差向けんとす、堀こゝにも、たまりかねて、紀伊殿の御領に隱れ居たり、明成やがて紀伊殿に此由を申て、討手を差向く、堀かくと聞て關東に忍び下り、一封…
- p004…つて橋を燒く、これ君臣の禮を失ひ、國家の法を亂る、其罪これ輕からずとて、明成が乞ふに依て、兄弟三人を賜る、明成大に悅び、同十八年の三月、堀が兄弟三人…
- p004…國家の法を亂る、其罪これ輕からずとて、明成が乞ふに依て、兄弟三人を賜る、明成大に悅び、同十八年の三月、堀が兄弟三人を、芝浦の別業にして誅しぬ、旣に所…
- p004…奉る由を申して、遁世せしなり、嘉明が三男は監物明信といひて、兄の明成が家の老にてありしが、家亡びし後、京に籠り居て死せしといふ…
- p005…同き六月將軍家嘉明が家絕えなん事を憐ませ給ひ、明成が男明友を召し出されて、石見の國安濃の郡にして、所領の地下し給ふ、山田…
- p006…明成の室は保科彈正忠忠直の女にて、大御所の御外姪なるを、大相國家の仰として尾…
- p006…しめされ、父が時より見參に入りしとなり、其後明友叙爵して、內藏助に任ず、明成、子息が所領に下り、入道して休意と號し、年七十にて、寛文元年正月廿一日に…
- p006…となり、其後明友叙爵して、內藏助に任ず、明成、子息が所領に下り、入道して休意と號し、年七十にて、寛文元年正月廿一日に死しける、…
- p008…子息ども見參に入れざりしかば家絕えぬと世には云ふなり、明利が卒せし時、兄式部少輔明成、家人堀が事にて家亂れしかば、それらの事に罪せられて、其事となく家絕えし…
- p008…堀が事にて家亂れしかば、それらの事に罪せられて、其事となく家絕えしにや、明成が家亡びし冬に、明利が嫡男彌三郞を召し出されて、三千石賜ひしが、廿三歲に…
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