人物索引 › 奥平信昌
奥平信昌
本文表記 信昌・奧平九八郞信昌・貞能父子・美作守信昌・九八郞信昌・九八郞・奧平美作守信昌・美作守平信昌・貞昌・美作守
酒井 第四上 · 1
- p007…切て入、おめき叫ひて攻めし程に、兵庫頭信實を初とし、宗徒の大將多く討る、奧平九八郞信昌も、同しく時を合せつゝ、城中より切て出づ、小山田室賀相木が勢、おのが陣所…
大久保 第四中 · 1
- p009…守に任し、所領賜ふ、二萬石、忠常文祿三年元服して、御諱字賜はれり、奧平美作守信昌の娘に添ひ、大御所の御孫聟にて、殊に時の賢人と聞えしかば、將軍家の御覺も…
戶田(田原) 第四下 · 1
- p002…下知に隨ふべき、御免あれと辭し申、此ときの御後備は、松平三郞太郞殿、奧平九八郞信昌、高力保科等なり、德川殿汝が申所、理至極せり、さらばこれ執て下知せよ…
奧平 第六 · 38
- p001…美作守平信昌は、三河國の住人奥平美作守貞能が男なり、貞能が四代の祖八郞左衞門尉貞俊、…
- p003…出る、左馬助も、扨は人の申せしは、空言なりとぞ思ひける、今夜貞能幷に子息九八郞信昌おのが城を去て、宮崎瀧山に要害構て立籠る、創業記に、貞能が父の道文入道幷…
- p003…二男とあるは、藤兵衞貞治が事なるべし、此人は關が原の戰に打死せしなり、〇九八郞後に信長より諱字賜て、信昌といひしなり、此頃の名、分明ならず、貞昌といひ…
- p003…なるべし、此人は關が原の戰に打死せしなり、〇九八郞後に信長より諱字賜て、信昌といひしなり、此頃の名、分明ならず、貞昌といひしよし、古記に見ゆ、然れど…
- p003…、〇九八郞後に信長より諱字賜て、信昌といひしなり、此頃の名、分明ならず、貞昌といひしよし、古記に見ゆ、然れども、系圖を考るに、信昌の曾祖を貞昌と云ふ…初名
- p003…の名、分明ならず、貞昌といひしよし、古記に見ゆ、然れども、系圖を考るに、信昌の曾祖を貞昌と云ふ、名同じければ疑はし、暫く後の名を以て稱するなり、…
- p004…德川殿此よし聞召し、御勢を加らる、貞能父子、武田勢と戰ふこと止む時なし、貞能一族を離れ、おのが城を捨て、子息信昌、…
- p004…能父子、武田勢と戰ふこと止む時なし、貞能一族を離れ、おのが城を捨て、子息信昌、武田が許に質とせし、最愛の妻を捨て、父子同じく御方に參る事、其志尤も深…
- p004…參る事、其志尤も深し、其賞これ輕かるべからすとて、長篠の城落し時、城をば信昌に下し給ひ、天正三年二月の事なり又第一の御娘を信昌が妻と定めらる、…
- p004…城落し時、城をば信昌に下し給ひ、天正三年二月の事なり又第一の御娘を信昌が妻と定めらる、龜姫君、後に加納殿と申せし御事なり、岡崎三郞殿…
- p005…此時岡崎殿、信康が妹を如何で信昌が妻とはすべきと宣へば、德川殿の御心にも叶ひ難く、此よし織田殿に仰せ合さ…
- p006…に思ひ、同き五月の初、自ら多勢を引率し、長篠に押寄せ、もみにもうで攻む、信昌僅かの勢を以て防き戰ひ、寄手手負討るゝもの數を知らず、…
- p007…此時に勝賴、信昌が質とせし妻をはりつけにして、甲斐國を出づといふ、一說に其事は是より前の…
- p007…、德川殿の御娘を下されしともいふなり、德川殿此由聞召し、信長の加勢乞て、信昌を助け來り給ひしかば、同き廿日、勝賴軍勢を引わけ、長篠の邊鳶巢久間の山に…
- p007…進み、敵をかけ破て、城中に入らんとす、敵また取てかへし戰はんとする所に、信昌城より切て出で多くの敵を追拂ひ、大手口に打て出て、作手、田嶺、鳳來寺岩小…
- p007…寺岩小屋等の要害盡く降たす、かくて有海原の合戰、敵悉く敗れしかば、信長、貞能父子を召され、信昌わづかの勢にて、多勢の爲に圍まれ、敵を討つこと數を知らず、…
- p007…く降たす、かくて有海原の合戰、敵悉く敗れしかば、信長、貞能父子を召され、信昌わづかの勢にて、多勢の爲に圍まれ、敵を討つこと數を知らず、終に御方の後卷…
- p007…刑部、吉比、新庄、山梨、高畑遠江の地なり等の地を給ひけり、同き七月貞能父子三河國武節の城を攻落す、信忠朝臣信長の嫡男其地つけて奧平にぞ給ひけ…
- p007…節の城を攻落す、信忠朝臣信長の嫡男其地つけて奧平にぞ給ひける、八月信昌、酒井左衞門尉忠次に伴ひ、織田殿へ參る、九八郞が此度の功無双なり、武者之…
- p007…つけて奧平にぞ給ひける、八月信昌、酒井左衞門尉忠次に伴ひ、織田殿へ參る、九八郞が此度の功無双なり、武者之助と申せとて、諱字に刀そへて賜ひ、其外に物多く…
- p007…武者之助と申せとて、諱字に刀そへて賜ひ、其外に物多く給て歸さる、是より信昌と名のるといふ同き十年武田亡ひ、織田殿失せ給ひ、信昌、酒井忠次と共に…
- p007…歸さる、是より信昌と名のるといふ同き十年武田亡ひ、織田殿失せ給ひ、信昌、酒井忠次と共に、信濃の國に向ひ、伊奈の郡を打從へしに因て、榛原郡を下し…
- p007…下し給ふ、十二年の春、德川殿北畠を助けて、尾張國に向ひ玉ふ、手合の戰に、信昌先懸し、森武藏守長一が陣を打破る十八年小田原を攻られしに、信昌後陣を承る…
- p007…合の戰に、信昌先懸し、森武藏守長一が陣を打破る十八年小田原を攻られしに、信昌後陣を承る、此年關東に移り給ひしに、美作守貞能上野國小幡の地を賜ひ、三…
- p007…給ひしに、美作守貞能上野國小幡の地を賜ひ、三萬石、按するに、家忠日記に信昌に上野國宮崎二萬石を給ふと斗り有て、貞能に所領給ひし事を載せず、此時貞…
- p007…や、但し貞能致仕せしにや、慶長三年十二月十一日六十二歲にて卒す、子息九八郞信昌もまた美作守になる、同五年九月關が原の軍終て後、信昌京都の守護となり、…
- p007…にて卒す、子息九八郞信昌もまた美作守になる、同五年九月關が原の軍終て後、信昌京都の守護となり、當家所司代置れし初めなり六年二月美濃國加納の城を…
- p007…ひ、飛驒守に任じ、同十四年攝津守になり、十五年七月將軍家の仰として、親父信昌の加納の城の邊にて所領の地加へられ、當國にて四萬石を給ふと云ふ、本領…
- p007…石作手を領する事元の如し、女子は大久保加賀守忠常の室となる、されば此美作守信昌、我身の大名になれるのみにあらず、子息等みな大御所の御外孫なれば、盡く大…
- p007…郞と申す、御諱字給て、忠隆と名のる、忠隆七歲にて父にわかれ、八歲にて祖父信昌の跡を繼き、十四歲にて元服し、飛驒守に任ず、寛永二年五月廿七日祖母の加納…
- p008…世に傳ふる所は、美作守信昌の家を攝津守殿繼せ給ひ、攝津守殿失給ひて、飛驒守殿其跡をつがせ給ひしとい…
- p008…給ひて、飛驒守殿其跡をつがせ給ひしといふ、されど攝津守殿うせ玉ひしは御父信昌より先の事なれば、不審なり、但し信昌致仕して加納城を攝津守殿に讓りしにや…
- p008…いふ、されど攝津守殿うせ玉ひしは御父信昌より先の事なれば、不審なり、但し信昌致仕して加納城を攝津守殿に讓りしにや、其事は正しき實記には見えず、…
- p009…大膳大夫平家昌、奧平と稱す美作守信昌の嫡男、宇都宮の城を領し、これより先の事は、父信昌の傳に見ゆ、慶長…
- p009…平と稱す美作守信昌の嫡男、宇都宮の城を領し、これより先の事は、父信昌の傳に見ゆ、慶長十九年十月十日年三十八歲にて、父に先立て卒せらる、其男…
- p012…下總守源忠明は、信昌の四男、大御所の御外孫なれば、次第に大名となつて、慶長十五年七月廿一日、…
- p012…名となつて、慶長十五年七月廿一日、伊勢國龜山の城を領す、是より先の事、信昌の傳に見ゆ、但し松平と稱せらる、同十九年十月六日、京都の早馬、駿河に…
- p012…れば、舍弟なれば下總守忠明、加納の軍勢を引具して、大坂に馳向ふべし、親父美作守老後の愁、何事か、是に若かん、其城に留て守るべしと仰下さる、去程に下總守…
小笠原 第六 · 1
- p001…ふ、初め德川殿、小笠原が本國を打從へしと聞召て、さらば加勢あるべしとて、奧平九八郞信昌に餘多の軍勢つけて差向らる、貞慶既に德川殿にも背きまゐらせて、北條に組み…
索引は本文を読んで人物・地名などに項目IDを付けたものです(標本点検の適合率約98.6%)。同名の別人は括弧で区別し、本文表記と異なる比定は注記に記しました。 詳しく