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宗義智
本文表記 義智・對馬守平義智・對馬守義智
宗 第十上 · 11
- p001…對馬守平義智は、太政入道淸盛公の四男新中納言知盛卿の末孫なり、初め知盛の卿西海にて失…
- p009…父義盛に繼て後、朝鮮と中和き是より又兩國の往來長く絕えず、盛永が七世の孫對馬守義智、父義調に繼て立つ、天正十五年の夏、豐臣關白筑紫に向ひ給ふ時、義智御陣に…
- p009…對馬守義智、父義調に繼て立つ、天正十五年の夏、豐臣關白筑紫に向ひ給ふ時、義智御陣に馳せ加りて本領を安堵せり、去年十四年關白、朝鮮に使立て、兩國好み結…
- p009…み結ばれん由を宣へども、彼國の王李昖敢て隨ひ參らせず、十八年の春、義智仰を承り、家人柳川下野守調信等を引具し、自ら彼國に渡て、兎かく拵へし程に…
- p009…、安からぬ事なり、さらば先づ朝鮮を攻めよやとて、文祿元年の春より軍起り、義智一方の先陣にて彼國に押渡り、彼處此處にて戰ふこと凡そ七年、太閤薨し給ひて…
- p009…秋、大坂の兵起りて、德川殿失ひ參らせんとす、手合せに先づ伏見の城を攻む、義智この時國に在り代官として柳川下野守調信、大坂の催促に隨ひ、軍勢を率ゐて伏…
- p009…軍勢を率ゐて伏見の城を攻め落し、又大津の城を攻め下す、上方の軍敗れし後、義智罪免されて本領を安堵す、此時義智大坂に馳せ上り自ら兵を引具し戰ひ…
- p009…大津の城を攻め下す、上方の軍敗れし後、義智罪免されて本領を安堵す、此時義智大坂に馳せ上り自ら兵を引具し戰ひしと云ふば誤れるにや…
- p011…同き九年朝鮮の使僧松雲、對馬の國に來て義智に就て、德川殿と長く兩國の好み修めん由を議す是室町殿の御時の例也大…
- p011…に悅ひ、明れば十二年の夏、兩御所へ信使參らせて隣國の好みを結ぶ、此等の事義智、德川殿の御德を彼國へ傳へ播しけるに因て、斯く隨ひ參らせしかば兩御所の御…
- p013…、大坂の軍起りし時、軍勢を引具し馳せ向て城を攻む、明れば元和元年正月三日義智四十八歲にして卒す子息彥七郞義成繼く、大坂の軍再ひ起りしには、鎭西の人々…
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