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小出吉政
本文表記 大和守吉政・吉政・播磨守・播磨守吉政
小出 第十上 · 12
- p002…政所の妹を妻にして、太閣一段の御意合なりと見えたり秀政男子四人あり、嫡子大和守吉政、後には播磨守二男遠江守秀家三男大隅守三尹四男甚太郞重堅と云ふ、大…
- p002…閣一段の御意合なりと見えたり秀政男子四人あり、嫡子大和守吉政、後には播磨守二男遠江守秀家三男大隅守三尹四男甚太郞重堅と云ふ、大和守吉政、文祿四年…
- p002…政、後には播磨守二男遠江守秀家三男大隅守三尹四男甚太郞重堅と云ふ、大和守吉政、文祿四年但馬國出石の城を賜へり、…
- p004…の御方人細川三位法印が丹後の國を攻むべしとて、丹波但馬の軍勢を向けらる、大和守吉政其催促に隨ひ丹後國に向ふ、關が原の軍終て後、遠江守秀家が初より御方に候ひ…
- p004…、丹後國を攻めらるゝ上は、彼と云ひ是と云ひ、秀政辭すべき所にあらず、嫡子吉政をば向はせしと見えたり、德川殿も此人他人の例に準ずべき者ならねば、吉政丹…
- p004…子吉政をば向はせしと見えたり、德川殿も此人他人の例に準ずべき者ならねば、吉政丹後を攻めしこと何の御咎もなし、其後市正且元も、かの仰せ置かれし御言葉を…
- p005…嫡子大和守吉政、父卒して後、父が跡を繼き播磨守になつて、慶長十八年十月八日四十九歲にし…
- p005…後、父が跡を繼き播磨守になつて、慶長十八年十月八日四十九歲にして卒す、吉政家を繼て岸和田に移り子息吉英は出石に在り吉政が嫡男右京大夫吉英、文祿…
- p005…日四十九歲にして卒す、吉政家を繼て岸和田に移り子息吉英は出石に在り吉政が嫡男右京大夫吉英、文祿二年七歲にて叙爵し、秀政卒して但馬國出石の城に在…
- p005…爵し、秀政卒して但馬國出石の城に在り、慶長十七年二月十二日大和守に任じ、吉政卒後繼て岸和田の城に移る、同十九年の冬に及て大坂の兵起りぬ、此所は大坂に…
- p008…伊勢守藤原吉親は播磨守吉政が二男、父が所領を分ち但馬國出石の城を領す、三万石又は二万九千…
- p010…領、如何程と云ふ事を知らず、城主譜を見るに、慶長九年故播磨守秀政卒て嫡子大和守吉政が讓られし所領、五万五千石の内を分ちて、五千石を舍弟大隅守三尹に與ふと載…
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