人物索引 › 山内一豊
山内一豊
本文表記 一豐・山内・山內・土佐守藤原一豐・猪右衞門・猪右衞門尉・對馬守一豐
比定未確認
山內 第七上 · 31
- p001…土佐守藤原一豐は、鎭守府將軍秀鄕朝臣十代の孫、山內の首藤刑部丞義通が後胤、但馬守盛豐が…
- p003…弘治三年岩倉の合戰に打ち死す、嫡男十郞、父と共に討れぬ、時に十六才一豐十二歲にて父に離れ、長大の後、猪右衞門と名のりて、織田信長朝臣に仕ふ、織…
- p003…十郞、父と共に討れぬ、時に十六才一豐十二歲にて父に離れ、長大の後、猪右衞門と名のりて、織田信長朝臣に仕ふ、織田殿失せ給ふ後、羽柴殿に隨て、天正十一…
- p003…戰功を賞せられし所なり、慶長五年の秋、德川殿奧の景勝中納言、御追討の時、一豐先陣に在て、下野國宇津宮に至る、かゝる所に上方又軍起り、國々の飛脚到來し…
- p003…らず、こゝに來れる大名小名、妻子從類悉く大坂にあり、人々の周章斜ならず、一豐が妻、さるさかしき人なれば、しかるべき侍くだせしにぞ、精しき事は知れにけ…
- p004…昔一豐、織田家に出て仕へし初め、東國第一の名馬なりとて、安土に引來て商ふ者あり…
- p004…れども價餘りに貴くして買ふべき人一人もなく、空しく引て返へらんとす、其頃一豐は猪右衞門尉と申せしが、此馬ほしく思へども、求る事如何にも叶ふべからず、…
- p004…價餘りに貴くして買ふべき人一人もなく、空しく引て返へらんとす、其頃一豐は猪右衞門尉と申せしが、此馬ほしく思へども、求る事如何にも叶ふべからず、家に歸りて、…
- p004…如何にも叶ふべからず、家に歸りて、世の中に身貧しき程、口をしき事はなし、一豐仕の初めなり、かゝる馬に乘て見參に入たらんには、屋形の御感にも預るべき者…
- p004…をばみづからまゐらすべしとて、鏡の筥の底より、黃金十兩とり出しまゐらす、一豐大きに驚き、この年頃身貧しく、苦しさのみ多き頃には、この黃金ありとも知ら…
- p004…きよしもなし、よき馬めして見參に入れ給へと思へばこそ、まゐらすれと云ふ、一豐やがて其馬もとむ、程なく都にて馬揃へのありし時、織田殿この馬御覧あつて、…
- p004…しが、餘りに價たつとくして、誰も買ふ事叶はず、空しく引て歸るべかりしを、山内が買ひ得て候ひしと申す、信長聞召し價貴き馬なり、當時天下に信長が家ならで…
- p004…て、奧よりはる〱來りしを、空しく還したらんには、無念の至りなるべし、その山内は、年頃久しき浪人と聞く、家もさぞ、貧しからんに買ひ得たる事の神妙さよ、…
- p005…て、人々の心の程を尋ね給ひしに、福嶋左衛門大夫正則、最初に御方に組みす、對馬守一豐續て進み出で、一豐が領せし城、海道にあり、速に御勢を以て守らせらるべし、…
- p005…ひしに、福嶋左衛門大夫正則、最初に御方に組みす、對馬守一豐續て進み出で、一豐が領せし城、海道にあり、速に御勢を以て守らせらるべし、年頂貯へ置きし兵粮…
- p005…速に御勢を以て守らせらるべし、年頂貯へ置きし兵粮も乏しかるべからず、次に一豐が家子郞等が妻子從類、悉く吉田の城に參らすべし、人質のため召し置るべき者…
- p005…吉田城は池田輝政の領せし所、此人德川殿の聟君なればかくは云ひしなり、一豐は軍兵を率ゐ、先陣に從つて軍仕るべしと申せしかば、滿座の人々一同に、彼が…
- p005…、彼が二人の旨に同じて、天下の大事立ところに定りぬ、德川殿大に悅ひ給ひ、一豐が申す旨に任せらる…
- p006…堀尾信濃守忠氏いまだ年若けれども、才智ある人なりしかば、一豐常に親みて、家の事大小となく、此人と謀る、上方の軍起りて、德川殿の御陣に…
- p006…府へ參らせ、人質をば吉田の城に入れて、自らは先陣して軍せんと思ふといふ、一豐此義尤も然るべしと、同じく打連て參り、福嶋味方に參るべしと云ひしに續きて…
- p006…義尤も然るべしと、同じく打連て參り、福嶋味方に參るべしと云ひしに續きて、一豐進み出て、堀尾が云ひし樣に申す、堀尾山內打連れて歸る時、今日は一豐日頃の…
- p006…味方に參るべしと云ひしに續きて、一豐進み出て、堀尾が云ひし樣に申す、堀尾山內打連れて歸る時、今日は一豐日頃の律儀に相違しければ、忠氏いふべき言葉もな…
- p006…きて、一豐進み出て、堀尾が云ひし樣に申す、堀尾山內打連れて歸る時、今日は一豐日頃の律儀に相違しければ、忠氏いふべき言葉もなかりしとて、堀尾大に笑ひし…
- p006…律儀に相違しければ、忠氏いふべき言葉もなかりしとて、堀尾大に笑ひしかば、山內も同しく笑ひて歸りしといふ、これを古き人の評して我が及ばぬ所を自ら知る事…
- p006…も難し、善き人の言を能く用ゐる事、次に難し、此三つを合せしは大智の流なり一豐は誠にたゞ人ならずといひしなり、…
- p007…其後一豐先陣の人々と共に馳せ上りて、所々の軍す、一豐の功、莫大なりしかば、此年土…
- p007…其後一豐先陣の人々と共に馳せ上りて、所々の軍す、一豐の功、莫大なりしかば、此年土佐の國を賜ひ、土佐守に任す、入部の後、悅申す…
- p007…稅入凡そ百萬斛ばかりもやあらんずらんと思ひしかば、賜ひし者をと仰けるに、一豐感淚に堪へず、忝なき事にぞ思ひける、同き九年、從四位下に叙す、此日主正…
- p007…勝の娘を養君となさる此日兩御所より彼父子に御刀を給ふ、此年九月廿日、一豐卒す六十歲、其子侍從兼土佐守忠義、はしめ對馬守實は一豐の弟修理亮康…
- p007…年九月廿日、一豐卒す六十歲、其子侍從兼土佐守忠義、はしめ對馬守實は一豐の弟修理亮康豐が嫡男、家繼ぎし後、慶長十五年三月朔日、將軍家御家號御諱字…
- p008…修理大夫藤原忠直、山内と稱す忠義の二男、母忠豐に同じ、按するに一豐の弟忠義の父修理亮といひしなり、若し此忠直して其跡を繼せしにや、…
索引は本文を読んで人物・地名などに項目IDを付けたものです(標本点検の適合率約98.6%)。同名の別人は括弧で区別し、本文表記と異なる比定は注記に記しました。 詳しく