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戸田宗光
本文表記 宗光・十田・彈正左衞門尉宗光・戶田彈正左衞門尉宗光・十田彈正左衞門宗光・十田彈正左衞門・十田彈正左衛門宗光・彈正
松平(戶田二連木) 第四下 · 18
- p001…丹波守藤原康長は、三河國の住人戶田彈正左衞門尉宗光が後胤なり、宗光初め明應年中當國田原の城を築て之に住み、又二連木の城を築…
- p001…丹波守藤原康長は、三河國の住人戶田彈正左衞門尉宗光が後胤なり、宗光初め明應年中當國田原の城を築て之に住み、又二連木の城を築て移る、…
- p002…は、三條庶流の藤氏といふ、親元日記を按するに、寬正六年四月十七日の記に、宗光都に上りて、伊勢兵庫助に對面の儀あり、曰く三河國の御被官十田彈正左衞門宗…
- p002…七日の記に、宗光都に上りて、伊勢兵庫助に對面の儀あり、曰く三河國の御被官十田彈正左衞門宗光と云々、五月廿六日の記に蜷川掃部介淳親が知行三河國の大平の御代官の事、十…
- p002…光と云々、五月廿六日の記に蜷川掃部介淳親が知行三河國の大平の御代官の事、十田に契約せしのよしを載せ、七月廿九日の記に、御被官三河國十田彈正左衞門、八…
- p002…の御代官の事、十田に契約せしのよしを載せ、七月廿九日の記に、御被官三河國十田彈正左衞門、八朔の禮儀として、伊勢守父子に太刀を送れるよしを載す、然れば、戶田もと…
- p002…として、伊勢守父子に太刀を送れるよしを載す、然れば、戶田もとは十田と云、十田又伊勢伊勢守貞親が被官たり、此年三河の守護細川讃岐守が家人等、主に叛き、…
- p002…三河の守護細川讃岐守が家人等、主に叛き、國中所々に隱れ住む、松平和泉入道十田彈正左衛門宗光をして、追捕すべきのよし、伊勢守幷に眞雄親元等が奉書案を載せ、其下にも、…
- p002…をして、追捕すべきのよし、伊勢守幷に眞雄親元等が奉書案を載せ、其下にも、十田は御被官たりと注せり、松平和泉入道といふは、德川殿の御先祖信光の御事なり…
- p002…和泉入道といふは、德川殿の御先祖信光の御事なり、これを以て見る時は、松平十田當時三河國の両目代にて、當國の事、二人の沙汰に出しと見えたり、〇又按ずる…
- p002…えたり、〇又按ずるに、明應元年より逆しまに、寛正六年に至て二十八年なり、宗光明應に田原を築き、其後また二連木を築き移りしといふ事は如何あるべき、宗光…
- p002…宗光明應に田原を築き、其後また二連木を築き移りしといふ事は如何あるべき、宗光もしは長壽なりしや、田原をきづきしは、明應よりなほ前の事にあらずや、…
- p004…說に彈正と記し玉へり、家忠日記增補には戶田五郞とあり、三遠記と云ふ書には彈正の子五郞兵衛とりまゐらす、此人は宗光の子憲光が弟、後には庄左衞門といひし…
- p004…は戶田五郞とあり、三遠記と云ふ書には彈正の子五郞兵衛とりまゐらす、此人は宗光の子憲光が弟、後には庄左衞門といひし人なりと註せり、太田山中が德川記とい…
- p004…德川記といふには、政光としるす、〇按するに戶田の家代々彈正と云ひしなり、彈正左衞門尉宗光、寛正六年に上洛せし事、親元日記に見えたり、其子彈正憲光、其子左近尉政光…
- p004…連木兩家の戶田分れたり、田原は彈正少弼康光なり、二連木は主殿助光成なり、宗光上洛せし寬正六年より、德川殿とられ給ひし天文十六年に至て、凡八十三年、宗…
- p004…光上洛せし寬正六年より、德川殿とられ給ひし天文十六年に至て、凡八十三年、宗光が上洛の時、たとへ十六歲なりとも、既に百年に及へり、宗光が子とり參らせし…
- p004…て、凡八十三年、宗光が上洛の時、たとへ十六歲なりとも、既に百年に及へり、宗光が子とり參らせしといふ事はなき事なり、大抵廿年を以て一世として見る時は、…
戶田(田原) 第四下 · 2
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