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有馬則頼
本文表記 入道・中務入道則顯・則顯・中務少輔則顯
有馬 第七上 · 9
- p001…具平親王の御末、播磨國の住人赤松二郞則村入道圓心に五男、律師則祐が末孫、中務入道則顯が嫡男也、系圖には、則顯は則祐八代の孫と見えたり、一說に十代の…本文:則顯(則頼)
- p001…郞則村入道圓心に五男、律師則祐が末孫、中務入道則顯が嫡男也、系圖には、則顯は則祐八代の孫と見えたり、一說に十代の孫と不審、又有馬と名のる…
- p001…領す、筑後守重則が時に至て、播磨の國に移りて、三木郡浦田の城に住す、其子中務少輔則顯、同國淡河の城に移る、太閤いまだ筑前守と申て、當國の守護たりしより、御方…
- p001…須賀の城を賜ふ、三万石、但し子息豐氏に賜ひしと見えたり、年老いて後入道し、兵部卿法印になさる、金森入道素玄、德永入道壽昌、これら三人は、當時の…
- p001…て、殿下御相伴衆の隨一にて、世人三法印と名づく御はなしの衆とも云ふ入道また德川殿にも親しく伺候す、太閤薨じ給ひ、彼の家の奉行等、德川殿失ひ參ら…
- p001…彼の家の奉行等、德川殿失ひ參らせんと、大坂伏見の間、物さわがしかりし時、入道父子常に御舘を守る、關が原の軍に、父子又御方にて軍しければ、父入道には本…
- p001…し時、入道父子常に御舘を守る、關が原の軍に、父子又御方にて軍しければ、父入道には本領攝津の有馬を賜ひ、二万石を領し、三田に住す、子息玄蕃頭豐氏…
- p001…三田に住す、子息玄蕃頭豐氏には、丹波の國福智山の城を賜ふ、六万石入道年つもりて八十餘歲、慶長七年七月十七日に卒す、此月十九日大御所御養女を以…
- p001…づ大御所の御甥、長澤松平源七郞康忠の娘を養君とし給ひしなり、按るに入道の卒せし事、遠き境にていまだ知れず、婚禮ありしにや、豐氏又有馬郡を賜…
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