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木下利房
本文表記 利房・宮内少輔利房・宮内少輔・宮內少輔豐臣利房
木下 第十上 · 9
- p001…道の後、二位の法印に任す、此人多くの男子あり、嫡男少將兼若狭守勝俊、二男宮内少輔利房、三男右衞門大夫延俊、四男信濃守俊定は早世す、五男金吾中納言秀秋、六男出…
- p001…の道にすきて、詠める歌秀逸多く、其集今も世に在て、皆人此を傳へけり、二男宮内少輔これも故太閤の御時、若狹國高濱の城を賜る、三万石又二万石とも云關が…
- p001…ながら德川殿の御恩に預る、肥後の入道が卒せし後、德川殿彼が所領の地、勝俊利房兄弟に分ち賜ふ、然るに政所勝俊を、あながちに憐み思ひ給ひ、父の所領悉く勝…
- p001…に政所勝俊を、あながちに憐み思ひ給ひ、父の所領悉く勝俊に知行させんとて、利房には與へられず、大御所此由を聞召し御氣色宜からず、慶長十四年九月廿七日入…
- p003…宮內少輔豐臣利房は、肥後守家定の二男、豐臣太閤の御時、若狭國高濱の城を領す、慶長五年の秋…
- p003…められ、所領をば沒收せらる、父の入道卒せし後、其遺領を分ち、舍兄勝俊幷に利房に下し賜ふ、政所偏に勝俊にのみ與へんとて、利房には分たれず、德川殿怒らせ…
- p003…其遺領を分ち、舍兄勝俊幷に利房に下し賜ふ、政所偏に勝俊にのみ與へんとて、利房には分たれず、德川殿怒らせ給ひて終に彼の遺領をも收公せられぬ、大坂の軍起…
- p003…れず、德川殿怒らせ給ひて終に彼の遺領をも收公せられぬ、大坂の軍起りし時、利房大御所の御陣に隨ふ、明れば元和元年備中國賀陽の郡を下し賜ふ、二万五千石…
- p003…利當、生年十五歲より關東に伺候し、將軍家に仕へ奉り、父卒して家を繼く、利房卒せし年月未た聞かずこれは槍つかふこと神に通じ、古今に双なき名譽あり…
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