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本多忠次
本文表記 忠次・縫殿助忠次・彥八郞忠次・本多・本多彥八郞忠次
本多 第四上 · 18
- p001…縫殿助藤原康俊は、縫殿助忠次が子、實は酒井左衞門尉忠次が二男なり、縫殿助忠次が曩祖は、九條右大臣師輔…
- p001…縫殿助藤原康俊は、縫殿助忠次が子、實は酒井左衞門尉忠次が二男なり、縫殿助忠次が曩祖は、九條右大臣師輔公より出て、忠次數代の祖參河國に移て、寶飫郡伊奈…
- p001…井左衞門尉忠次が二男なり、縫殿助忠次が曩祖は、九條右大臣師輔公より出て、忠次數代の祖參河國に移て、寶飫郡伊奈庄に住す、國人これを伊奈の本多とぞ申ける…
- p001…申ける、岡崎の次郞三郞殿、東三河の地併せらるべきにて、御馬を出されし時、忠次が祖父縫殿助正忠、最初に御方に組みして先陣し、牧野兄弟既に討たれて、吉田…
- p004…御刀は、光忠か嫡流の家に相傳ふといふ、其後光忠所勞によりて、舍弟彥八郞忠次、父が跡をつぐ、光忠光典兄弟、德川殿の御爲に、吉田の城攻取るべき事を議り…
- p004…父が跡をつぐ、光忠光典兄弟、德川殿の御爲に、吉田の城攻取るべき事を議り、忠次に隨ひ、岡崎に參りて、斯と申す、德川殿大に悅はせ玉ひ、さらば光忠二連木に…
- p004…光忠嫡流の家に傳ふ斯て御勢を差向られ、糟塚喜見寺二箇所の要害を攻られ、忠次先陣を給りて御軍を出され、吉田の城を攻めらる、光忠等かねて申しゝ事の如く…
- p004…忠等かねて申しゝ事の如く、城中の者共、思ひ〱に成て、其戰はか〱しからず、忠次從者戶田小栗を使として、城の大將小原肥前守が許に申事、數度の後、小原終に…
- p004…、駿河國に歸る、此とし永祿七年六月、三河八郡の地、大略御手に屬しければ、忠次が功最大なりとて、忠次幷に光忠光典戶田小栗各所領の地を下し給ふ、此時忠…
- p004…永祿七年六月、三河八郡の地、大略御手に屬しければ、忠次が功最大なりとて、忠次幷に光忠光典戶田小栗各所領の地を下し給ふ、此時忠次光忠には御書を賜り、…
- p004…次が功最大なりとて、忠次幷に光忠光典戶田小栗各所領の地を下し給ふ、此時忠次光忠には御書を賜り、其功を賞せらる、忠次には所領の地を加へ玉ひ、光忠に…
- p004…小栗各所領の地を下し給ふ、此時忠次光忠には御書を賜り、其功を賞せらる、忠次には所領の地を加へ玉ひ、光忠には奧郡池尻村の地を給ひ、光典戶田小栗等に…
- p004…貫文つゝの地を宛ておこなはれしといふ、元龜三年六月近江國姉川の戰に、忠次酒井左衞門尉忠次と陣を同くして戰ひ、天正元年三月、三郞殿の御軍始に隨ひま…
- p004…、首廿一を切て獻る、同十一年七月姫君北條左京大夫氏直の許に入らせ玉ふ時、忠次御輿副として、相摸國に趣く、此時平岩七之助本多彌八郞も同しく姫君…
- p004…しく姫君を送り參らせしと云、○或說に酒井左衞門尉送り參らすと云、酒井本多其名同しければ、孰か是なる事を知らす、其後忠次死して、康俊繼く、初め長…
- p004…尉送り參らすと云、酒井本多其名同しければ、孰か是なる事を知らす、其後忠次死して、康俊繼く、初め長篠の戰の時、康俊七歲にして人質の爲、濃州岐阜の城…
- p004…濃州岐阜の城に趣く、これ織田殿の加勢を乞はせ玉ふが爲なりき、十二歲の時、忠次に養はれ、十四歲にして元服し、御諱字を賜りて彥八郞康俊と申す、此時に養…
- p004…養はれ、十四歲にして元服し、御諱字を賜りて彥八郞康俊と申す、此時に養父忠次は縫殿助と申せしなり、廿二歲の時、豐臣關白、相摸の北條を討たるべきに…
松平(戶田二連木) 第四下 · 1
- p006…主殿助小原と戰死せし事、いまだ見ず、三遠記に、主殿助の御方に參りし年に、本多彥八郞忠次が、伊奈より岡崎へ返るとて、吉田を攻むべき謀事を思ひよりて、先陣を望みし…
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