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森川重俊
本文表記 出羽守・重俊・森川內膳正・出羽守源重俊
大久保 第四中 · 1
- p009…に送る、家子郞等皆暇賜て、關東に下しげれば、洛中程なく鎭まりぬ、二月五日森川內膳正、日下部河內守、大久保與一郞、同半助等、御勘氣を蒙る、これは去し十六年三…
森川 第五 · 15
- p001…出羽守源重俊は、金右衞門尉氏俊が子なり、…
- p003…武者十騎步兵五十人を屬られたり、是を御先手鐵炮頭廿人衆といひしなり重俊二男といへり大相國家に仕へ奉り、双なき昵近の者にて、終に執政の職に…
- p004…世嗣の君いまた定らざりし時、御臺所國松殿を御寵愛あさからざりしかば、この出羽守等を先として、天下をば此君知し召さるべしと思ひ、竹千代殿には常に參る事も…
- p005…按するに、出羽守が甥に森川若狹と云ひしは、童の時、天下無双の容色なり、大御所の御外孫蒲生…
- p005…いひ付て、急き追かけ、搦取て來るべしと下知し、江戶へも飛脚はせて、此由を出羽守に告ぐ、出羽守以の外に怒りて、家子郞從一人も殘らず、海道をさして追かけ、…
- p005…追かけ、搦取て來るべしと下知し、江戶へも飛脚はせて、此由を出羽守に告ぐ、出羽守以の外に怒りて、家子郞從一人も殘らず、海道をさして追かけ、打留めよと下知…
- p005…て追かけ、追手の勢、箱根の關に至りし時、關守ども固く止て、壹人も通さず、出羽守が一族の人々集りて、わどのは當時、執政の人にて、世の騷き起し玉はん事然る…
- p005…は嫉み謗るは、よからね人の慣ひなるにて、天下の人々、心安きどちは打寄て、出羽守が日でろ我身御覺の忝さに、君の御大事あらんには、眞先に死して、恩に報ひ奉…
- p005…もありけり、それが伯父、實の際の事、覺束なしなど、嘲り笑ふと聞えければ、出羽守いよ〱口をしき事に思ひけり、程なく大相國家かくれさせ玉ひ、御供すべき人も…
- p005…ぞ見えける、此時また御供すべき人なりなどいひしに、左もなく世に在しをば、出羽守が事を例に引きて謗る人々ありき、謗らるゝ人のかたざまは、出羽守が死したり…
- p005…在しをば、出羽守が事を例に引きて謗る人々ありき、謗らるゝ人のかたざまは、出羽守が死したりしを、嫉ましく思ふもありて、かくよからぬさまに云ひなしたるなり…
- p005…將軍家の御覺よからぬも多かりしかば、かく云ひしも、むべなり、かれこれ偏に出羽守が不幸とこそいふべけれ、かゝるうち〱の事は、世に知る人、今はなければ、出…
- p005…守が不幸とこそいふべけれ、かゝるうち〱の事は、世に知る人、今はなければ、出羽守が志の程空からんも哀なれば、事ながけれども、こゝに記しぬ、彼の若狹は、後…
- p006…重俊が嫡子伊賀守重友家を繼く、上總國生實の地一万石なり寛文三年正月廿二…
- p006…其子出羽守重信父に繼く、身いたはる事あつて致仕し、子息紀伊守重興つぐ、重俊が二男、下總守重名は番頭を經て、寛文二年二月御側衆に至りしか、同き六年…
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