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立花直次
本文表記 直次・高橋・主膳正直次・彌七郞・高橋彌七郞統增
立花 第八下 · 16
- p006…號し、同き十九年十一月廿五日、七十六歲にて卒す、侍從忠茂宗茂が世嗣、實は主膳正直次が二男、伯父宗茂が家を繼く、初め元和八年十二月廿六日元服し、將軍家の御諱…
- p006…ぬ、直茂に十万九千石餘、弟直晟に五千石を分つと云主膳正源種次は、故主膳正直次が嫡男なり、直次實は豐後の大友が家人高橋主膳正鎭種入道紹運が男とぞ聞えけ…
- p006…餘、弟直晟に五千石を分つと云主膳正源種次は、故主膳正直次が嫡男なり、直次實は豐後の大友が家人高橋主膳正鎭種入道紹運が男とぞ聞えける初め高橋彌七…
- p006…り、直次實は豐後の大友が家人高橋主膳正鎭種入道紹運が男とぞ聞えける初め高橋彌七郞統增と申けり後に主膳正直次と云ふと九州記に出づ抑も高橋が家と申は大藏朝臣…
- p006…高橋主膳正鎭種入道紹運が男とぞ聞えける初め高橋彌七郞統增と申けり後に主膳正直次と云ふと九州記に出づ抑も高橋が家と申は大藏朝臣春實の末葉にて足利殿の御…
- p006…なり未だ年三十に滿たずして入道し、紹運と號し我身は岩屋の城に在り、子息彌七郞、寶滿の城を守る、天正十三年九月十三日の夜、筑紫上野介廣門が爲に、寶滿の…
- p006…介廣門が爲に、寶滿の城を襲はれ、敵城中にみち〱、防くべき力なく、家子郞等彌七郞を守護して、岩屋の城に落ち去りぬ、明る十四年七月十日、筑紫も又島津が爲に…
- p006…又島津が爲に攻られて、勝尾の城を落され、降人になつて出づ、此時を窺つて、高橋再び寶滿の城に入る、時に彌七郞十五歲と云ふ同き月廿七日、父の入道紹…
- p006…を落され、降人になつて出づ、此時を窺つて、高橋再び寶滿の城に入る、時に彌七郞十五歲と云ふ同き月廿七日、父の入道紹運、島津が勢に攻められ、岩屋の城…
- p006…郞等八百餘人討死し、入道も自害しぬ、三十九歲敵又寶滿の城に押寄せ、高橋をたばかつて生捕にこそしたりけれ、島津が家譜には、此等の事天正十三年…
- p006…とせり、明れば十五年の秋、豊臣關白、鎭西を平げ給ひし時、島津が許より、高橋を召され、父入道、殿下の御爲に、己が城を守て主從殘らず討死を遂けしこと深…
- p006…らず討死を遂けしこと深く感じ仰せられ、九國政務の事始に、筑後の國三池郡、高橋に賜り、叙爵して主膳正にぞ任じける、朝鮮の軍起りて、彼國に押し渡り、此處…
- p006…上方に與みしければ、兄弟同しく本領を沒収せらる、慶長八年の春、將軍家宗茂直次兄弟を召されて、所領の地賜り、直次常陸國筑波郡柿岡の地を領しけり、五千又…
- p006…を沒収せらる、慶長八年の春、將軍家宗茂直次兄弟を召されて、所領の地賜り、直次常陸國筑波郡柿岡の地を領しけり、五千又汝等二人兄弟たり、同じ名字に改めよ…
- p006…岡の地を領しけり、五千又汝等二人兄弟たり、同じ名字に改めよと仰せ下さる、直次是より源氏になつて立花と名のり、大坂前後の戰に將軍家に隨ひ奉る、元和六年…
- p006…名のり、大坂前後の戰に將軍家に隨ひ奉る、元和六年の秋、宗茂本領賜ひし時、直次も同しく召さる、病既に急にして參らんずるに叶はず、幾程なくして卒す、明る…
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