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遠藤慶隆
本文表記 慶隆・遠藤・但馬守平慶隆・左馬助・左馬助慶隆・遠藤但馬守
遠藤 第九上 · 24
- p001…但馬守平慶隆は攝津國の渡邊黨遠藤の後胤なり、兵庫頭盛政が時に及て、其母土岐美濃守光衡…
- p003…慶隆初は左馬助と申て、盛數が跡を繼き、郡上郡山田の庄を領す、…
- p003…慶隆初は左馬助と申て、盛數が跡を繼き、郡上郡山田の庄を領す、…
- p004…て、美濃國郡上郡山田の庄の地頭職に補せらる、常慶は中務入道十代の孫なり、慶隆其外祖常慶が累代の所領を、讓り得しと見えたり、…
- p005…秀吉關白の時に及び、左馬助慶隆、傳領の地を失ひて、當國小原と云ふ所に移され、新兵衞尉胤緣が子大隅守胤基…
- p006…慶隆が郡上の地を失ひし事、其年月いまだ聞かず、思ふに稻葉右京亮貞通が、曾根の…
- p006…、思ふに稻葉右京亮貞通が、曾根の城より郡上の城に移されし時の事なるべし、慶隆が領せし所は、七千五百石の地にて、胤直が領せし所は、六千五百石の地なりと…
- p007…起りし時、當國の人々、多くは大坂の催促に從て、岐阜中納言秀信の手に從ふ、慶隆思ふ所あれば、其催促に從はず、斯る所に、德川殿の仰として、榊原式部少輔康…
- p007…して、榊原式部少輔康政が許より、急き東國に組し參らすべき由、傳へければ、慶隆大に悅ひ、頓て東國の味方として、纔なる勢を以て、一族を離れ、多くの敵の中…
- p007…城、攻め取るべき由、金森法印に付て、關東に申す、法印が子出雲守可重は慶隆が婿なればなり德川殿、本領安堵の御敎書を成されて、法印が子息出雲守可重…
- p007…を成されて、法印が子息出雲守可重、加勢の事承り、夜を日に繼て、馳せ登り、慶隆が許に牒し合せ、終に八幡の城を攻め下す、程近ければ、先づ此由を中納言殿の…
- p007…納言殿のおはします諏訪の御陣に告け申す、御消息賜て、速成の功を賞せらる、慶隆が一族にて、婿なりける同き小八郞胤直が、當國大地と云ふ所に在て、上方に組…
- p008…守胤基、文祿二年、朝鮮に押渡り、彼地の軍中に死す、其男小八郞胤直と云ふ、慶隆は此胤直が家承けし樣に見えたり、いぶかし、慶隆は盛數が子と見えき、然れば…
- p008…す、其男小八郞胤直と云ふ、慶隆は此胤直が家承けし樣に見えたり、いぶかし、慶隆は盛數が子と見えき、然れば小八郞が父大隅守胤基と、慶隆とは、從弟にして、…
- p008…えたり、いぶかし、慶隆は盛數が子と見えき、然れば小八郞が父大隅守胤基と、慶隆とは、從弟にして、小八郞又慶隆が第二の娘を妻とせる也、或記に太閤の時、慶…
- p008…子と見えき、然れば小八郞が父大隅守胤基と、慶隆とは、從弟にして、小八郞又慶隆が第二の娘を妻とせる也、或記に太閤の時、慶隆が本領二萬六千石の地、二つに…
- p008…隆とは、從弟にして、小八郞又慶隆が第二の娘を妻とせる也、或記に太閤の時、慶隆が本領二萬六千石の地、二つに分て、慶隆には小原の地七千五百石、大隅守胤基…
- p008…の娘を妻とせる也、或記に太閤の時、慶隆が本領二萬六千石の地、二つに分て、慶隆には小原の地七千五百石、大隅守胤基には、大地の地一萬八千五百石を賜ひしか…
- p008…小原の地七千五百石、大隅守胤基には、大地の地一萬八千五百石を賜ひしかば、慶隆安からぬ事に思ひし故、此度も大坂の催促にも從はず、東國に組して、終に本領…
- p008…從はず、東國に組して、終に本領を合せ領したりと記しぬ、此說の如くならば、慶隆小八郞胤直が家を繼きしにあらず、系圖に見えし樣は、慶隆小八郞が家を合せ領…
- p008…此說の如くならば、慶隆小八郞胤直が家を繼きしにあらず、系圖に見えし樣は、慶隆小八郞が家を合せ領せしと云ふ事なるべし、但某が見し系圖に誤あるにや、…
- p009…德川殿程なく當國に攻め入り給ひ、赤坂に御陣を召されしかば、慶隆御陣に馳參て見參に入る、御太刀御馬并土產等を獻る關が原の戰の時には後…
- p009…叙爵して、但馬守に成され大坂の兵起りし時、馳向ひ戰て、首六十八切て獻る、慶隆年積て八十三歲、寛永九年三月廿一日に卒す、其男長門守慶勝、二十八歲にして…
- p009…父に先立て卒す、前飛驒の國司姉小路大納言自綱卿の男三木右近大夫直綱が子、慶隆が外孫なれば、養て家繼がす、但馬守慶利是なり慶利が子備前守常季、常季が男…
稻葉 第十上 · 3
西尾 第十二下 · 1
- p003…る者なれば、彼御所に深く隱させ給ひしに依て、希有にして逃れぬ、かくて光敎遠藤金森等と郡上の城を攻む、德川殿美濃の國に攻め入り給ひしのち、光敎仰を承て…
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