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長尾為景
本文表記 爲景・長尾六郞爲景・長尾信濃守爲景・長尾
上杉 第八下 · 14
- p002…頭景宗、三男梶原太郞景久と云ふ、嫡子景政五代の孫長尾次郞景弘より十三世、長尾六郞爲景、これ輝虎入道が父なりと云々、以上兩說、大に異なるに似たり、一は勸修寺の…
- p003…、又長尾は、其家の老なりしかば、是も上杉が領せし國々に分れ住む、輝虎が父長尾信濃守爲景に當て、主君越後の上杉民部大輔房能と、不快の事出來て、主從の軍起り、房能…
- p003…杉前民部大輔顯定入道可淳、息男憲房と共に、上野の國を立て、越後國に向ひ、爲景と戰ふ、永正六年七月廿八日の事也爲景打負て、越中國西濱へ引退く、顯…
- p003…上野の國を立て、越後國に向ひ、爲景と戰ふ、永正六年七月廿八日の事也爲景打負て、越中國西濱へ引退く、顯定入道父子、越後の國に在て、國中の亂を鎭め…
- p003…の國に在て、國中の亂を鎭めんとす、當國の國人等、高梨攝津守を大將として、爲景に與みして、管領の下知に隨はず、永正七年六月十二日、憲房椎屋と云ふ所に押…
- p003…一戰に利を失ひ、妻有の莊に引籠て、軍勢を催し、上野の勢を待て、戰んとす、長尾高梨、勝に乘て、妻有の莊に押寄す、同き六月廿一日、顯定入道、軍兵を卒る越…
- p003…子息憲房、越後國に溜りかね、上野國に引返し、平井の城にぞ籠りける、此後爲景、越中の國府內の城に住し、越後の國をも打隨へ、天文十一年、加賀國へ發向し…
- p004…これは爲景、一向宗の一揆平げんとて、加賀國に向ふ、敵欺て降參して案內し、路におとし…
- p004…げんとて、加賀國に向ふ、敵欺て降參して案內し、路におとし穴、所々に拵て、爲景が軍勢を導て、悉く陷いれて殺せしなり、…
- p005…輝虎入道、父爲景が討れし時、僅に十三歲、平三景虎と名乘り、自ら父が家を繼ぐ、明れば天文十…
- p005…虎十六歲、政景廿九歲なり明れば十五年、越後國悉く靡き隨ひぬ、さらば父爲景が吊ひ軍、あるべしとて、越中國に打入て加賀能登を隨へ、佐渡國へ押渡る、斯…
- p012…其家譜、並に宇佐美定祐が記を按ずるに、輝虎の母、賤かりしかば、父爲景に逐れて、八歲の時より、金津新兵衞と云ふ郞等と共に橡尾と云ふ所に隱れ居り…
- p012…衞と云ふ郞等と共に橡尾と云ふ所に隱れ居りしこと九年を經て、十四歲の時、父爲景が主君上杉顯定を失ひ、己が子六郞を上杉の世嗣とせしことを憤り、上杉譜代の…
- p012…懺悔して、肉と色とを絕ち、一生持戒し、後に謙信と改むと云々、又或說に、父爲景討たれ、兄六郞は家を保つ器にあらずとて、家人等が景虎を主とせしかば、兄を…
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