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阿部正澄
本文表記 修理亮正澄・正澄・修理亮阿部正澄・修理亮
阿部 第五 · 8
- p003…嫡男修理亮正澄は早世し、傳は下に見えたり、二男對馬守重次、家を繼く、重次初め三浦…
- p003…り、二男對馬守重次、家を繼く、重次初め三浦監物藤原の重正が爲に養れ、兄正澄が卒せしより、實父正次が世嗣となる、幼きより左大臣家に仕へ奉り、大猷院…
- p007…、後に正春對馬守重次が二男、初め父重次、三浦監物重政に養はる、舍兄修理亮正澄卒して後、實父正次が世嗣となつて、おのが二男重長して、三浦の家を繼せけり…
- p008…修理亮阿部正澄は、備中守正次が嫡男、父と共に大坂に戰つて、高名を顯し、上總の國大瀧の地…
- p011…召し其年八月十六日、侍從に任す、明曆三年六月、忠秋が請に因て、彼の從弟故修理亮正澄が男市正正能を嗣と定められ、播磨守になさる、…
- p012…忠秋重ねて望みしは、市正既に忠秋が世嗣たる上は、かれが實父正澄が所帶をは返し奉るべき所なりと申す、將軍家、この由を聞召し、修理亮が遺領…
- p012…れが實父正澄が所帶をは返し奉るべき所なりと申す、將軍家、この由を聞召し、修理亮が遺領上總國大瀧の地一万石、もとの如く市正領すべし、但し市正が叔父對馬守…
- p013…す同十一年五月廿五日致仕し、延寶三年五月三日に卒しぬ、播磨守正能、實は修理亮正澄が男、豐後守忠秋世嗣となり、寛文十一年五月廿五日、忠秋が讓りを請て、おの…
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