f150.p001校訂済42L:9–14七郞殿は德川殿第五の御男、御母は下山殿秋山越前守虎康が娘也初め御外戚の名字によつて武田萬千代と申しまゐらす、此殿天性煩らはせ給ふこと多かりしかば、常に籠り居させ給ひて、御成人の後は松平七郞信吉と名のり給ふ、文祿元年下總國佐倉の城を參らせらる、四万石關が原の軍には關東に留り守り給ひ、西城におはします、慶長七年十一月常陸國水戶の城に移り給ひ、御領いか程にや詳ならず同き八年九月十一日かくれさせ給ふ、御歲廿一とぞ聞えける、御世嗣なければ御跡絕えぬ