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南部氏
본문 표기 南部
南部 第九下 · 8
- p002…、按ずるに南部記に興國三年八月奧州宮方伊達宮內少輔行朝、石川石橋河村田村南部滴石の輩、斯波岩手の兩郡へ攻め上りて、朝敵稗貫出羽守、并に其一族を誅せし…
- p002…治の爲に發向の事見ゆ、糟部と云ひしは、今の五戶六戶など云ふ邊にして、此時南部既に其地に在りしかば、或は南部とも云ひ、或は糠部とも云ふ、滴石とは、今の…
- p002…ぬれば、將軍家に屬して、本領を安堵せし事と見えたり、又其家に云傳ふる所、南部の家紋は、もと菱なり、大膳大夫守行、或時秋田城之介と戰ふに、二羽の鶴飛ひ…
- p004…或記に曰く、此時に至て、南部が被官津輕右京亮爲信を初て、九戶修理亮政實等が、主に背て、國中常に靜なら…
- p004…聞き給ひ、國中の逆亂に依て、道既に塞りたるに、早々使を奉る事、神妙なり、南部が累代傳領の地、安堵の事、子細あるべからず、又家人等が逆威を振ふこと、甚…
- p004…りしかば、信直頓て御陣に參る、津輕の地は、最初に右京亮爲信に賜ひし上は、南部に返へし附けらるゝに及はずと云ふ、…
- p005…岡一書に糠部の城に押し寄す、關白殿の御勢、德川殿の先陣を始として、南部津輕松前の軍勢馳せ加り、入替々々攻めし程に、同九月、城終に攻め破られ、九…
- p005…幾程も無くて、慶長五年の夏、德川殿會津の中納言景勝を御退治あるべきにて、南部津輕秋田山北の人々は、出羽守義光に隨つて、軍すべき由、仰せ下さる、信濃守…
津輕 第九下 · 6
- p001…右京大夫藤原爲信は、世々南部が被官として、津輕の地に住しけり、…
- p003…爲信が時に至りて、南部が外戚に付て親しかりしに、南部が外甥なりとも、又爲信が妻は、南部が姪…
- p003…爲信が時に至りて、南部が外戚に付て親しかりしに、南部が外甥なりとも、又爲信が妻は、南部が姪女なりとも云ふ南部が家、やゝ衰…
- p003…て、南部が外戚に付て親しかりしに、南部が外甥なりとも、又爲信が妻は、南部が姪女なりとも云ふ南部が家、やゝ衰へければ、爲信が武威日々に强くして、…
- p003…かりしに、南部が外甥なりとも、又爲信が妻は、南部が姪女なりとも云ふ南部が家、やゝ衰へければ、爲信が武威日々に强くして、津輕の地悉くに討ち從へ、…
- p004…ふ書にのみ見えて、其餘の諸記に、いまだ見る所なし、最上記を按ずるに、此時南部秋田を先として、奧方の人々、悉く最上の郡に馳せ集りき、其軍勢の着到にも、…
蒲生 第十二上 · 1
- p003…狀し、軍勢を率る馳せ向つて是處彼處の賊徒悉くに打平く、明れば十九年の夏、南部が家の子九戶、主に叛く、中納言秀次追討の爲に下向あり、氏鄕先陣に進みて九…
最上 第十二上 · 1
- p003…して家の子郞等らに分ち與ふ、頓て德川殿景勝追討の爲に御下向あるに及んで、南部秋田を先として、山北の輩を引具して景勝が國に攻め入らんとす、上方又軍起つ…
색인은 본문을 읽고 사람·지명 등에 개체 ID를 붙인 것입니다(표본 점검 정밀도 약 98.6%). 같은 이름의 다른 사람은 괄호로 구분했고, 지면 표기가 다른 비정은 문맥 주석에 적었습니다. 자세히