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大内氏
본문 표기 大內・大内
山口 第六 · 2
相良 第十上 · 1
- p006…八代蘆北の政所を賜て、球摩郡を合て三郡を領す、爲續が孫宮内義滋、此頃は大內が家に隨ひし樣に、世には傳ふるなり其嗣右兵衞佐晴廣、實は義滋が猶…
宗 第十上 · 6
- p007…其後嘉賴本國を攻め取らんと、對馬の軍勢かり催し、肥前國上松浦に押渡り、大內が爲に破られて引返す、嘉賴死して後、應仁元年嘉賴が子敎賴、又對馬の勢を催…
- p007…子敎賴、又對馬の勢を催して博多と宰府との間なる見月の地に押渡て、大友幷に大内が守護代の爲に破られて討れ死す、文明元年大內介政弘が山名宗全入道に與みせ…
- p008…又肥前の軍記に敎賴細川右京大夫勝元が旨に任せて、對馬より出て宰府に入て、大內が爲に討たれ、其子政資高祖の城より打出て、大內が勢を討破り筑前の國を得た…
- p008…、對馬より出て宰府に入て、大內が爲に討たれ、其子政資高祖の城より打出て、大內が勢を討破り筑前の國を得たりと云々、…
- p009…の城に隱し置き成長の後、少貳資元と名乘らせ、累代の家人等を招き集む、當時大內に從ひし國人等悉く馳せ參る、大內安からぬ事に思ひしかど、是處彼處の戰に暇…
- p009…と名乘らせ、累代の家人等を招き集む、當時大內に從ひし國人等悉く馳せ參る、大內安からぬ事に思ひしかど、是處彼處の戰に暇なく、未だ少貳と戰ふに及はず、大…
松浦 第十上 · 1
- p003…其後少貳が家滅ひて、松浦大内に隨ひ、道可入道が時に至り、天正の半、又龍造寺隆信に隨ふ、同き十年對馬國…
색인은 본문을 읽고 사람·지명 등에 개체 ID를 붙인 것입니다(표본 점검 정밀도 약 98.6%). 같은 이름의 다른 사람은 괄호로 구분했고, 지면 표기가 다른 비정은 문맥 주석에 적었습니다. 자세히