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大隅国
본문 표기 大隅・大隅國
淺野 第七上 · 1
- p001…館に祗候す、是よりして後、德川殿の申次を承はる、關白島津を伐ち給ふ時は、大隅國に向ひ、北條を亡し給ふ時は、武藏の國に向ふ此時殿下駿河の國府に至らんとし…
嶋津 第八上 · 11
- p001…山に着て、莊內に移る、右大將家の御敎書に任せて、薩摩の國は云ふに及はず、大隅日向の國人等、守護の下知に隨はざる輩、悉く退治して、其後薩摩の國鹿兒嶋に…
- p002…久治承三年に生れて十八歲の時、建久七年七月一日、薩摩の國に下向して、薩摩大隅日向等の守護となり、嘉祿二年三月廿一日、六十歲にて卒す、忠久、畠山重忠の…
- p002…建仁三年の記に、九月二日比企判官能貞が討れし時、同四日嶋津左衞門尉忠久、大隅薩摩日向の守護職を收公せらる、能貞が緣坐故也と云々、然れば此時に、彼國々…
- p002…き、系圖を按ずるに、忠久が嫡男三郞兵衞尉忠義大隅守となれり、此時より再ひ大隅の守護とは成れるなるべし、〇世に傳ふる傳記に曰く、比企藤判官能貞が妹、丹…
- p002…預けらる、重忠子として十三歲の時に鳥帽子きせ、忠久と名のらせ、聟となす、大隅薩摩兩國を賜り、嶋津又三郞忠久といふと云々、此說は覺束なき事共あり、まづ…
- p002…せしといふも覺束なし、子としたらんには、など畠山とは名のらざらん、又薩摩大隅を賜て、嶋津と名のるといふも浮きたる說なり、兩國賜りたればとて、謂れなく…
- p003…義弘、三男左衞門尉歲久、四男中務大輔家久とぞ申ける、嫡男義久、家を繼き、大隅日向を始として、筑前筑後肥前肥後豐前の國に至るまで、悉く打從へ、大友左衞…
- p003…なからんには、急き上洛して、殿下に伺候すべき由を申す、關白殿聞し召して、大隅薩摩は本領なれば、相違あるべらず、又日向肥後筑後、各半國を賜はるべし、日…
- p003…召し具し、太平寺の御陣に參る、殿下やがて御對面ありて、御氣色殊に宜しく、大隅薩摩兩國安堵の事、仰せ下さる、義久が舍弟義弘、歲久家久を始として、宗徒の…
- p003…弟義弘、歲久家久を始として、宗徒の家人郞等、みな見參に入る別の仰ありて、大隅七郡日向二郡の地を分ちて、兵庫頭義弘父子、幷家人伊集院新納等…
- p003…て、義久兄弟が罪ゆるされ、本領を安堵す、されば關白にも彼が忠を感じ給ひ、大隅の内一郡の地を分ち賜ふ、かゝる奉公の者なれど、如何なる故にやありけん、慶…
伊東 第九下 · 2
색인은 본문을 읽고 사람·지명 등에 개체 ID를 붙인 것입니다(표본 점검 정밀도 약 98.6%). 같은 이름의 다른 사람은 괄호로 구분했고, 지면 표기가 다른 비정은 문맥 주석에 적었습니다. 자세히