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対馬国
본문 표기 對馬・對馬の國・對馬國
宗 第十上 · 12
- p001…と申して七人の男子あり、彼が男宗右馬の彌次郞、左衞門尉に任ず、寛元四年に對馬の國に押し渡て國人阿比留を討つて、終に當國の地頭となつて、太宰の少貳に屬す、…
- p001…人阿比留を討つて、終に當國の地頭となつて、太宰の少貳に屬す、是れ此家の對馬を領せし始とす其子右馬七郞助國繼く、文永十一年十月五日或は三日と…
- p003…今に對馬の海邊、師大明神と崇め祀れるは、此助國が社とぞ承る、其子右馬允經茂太宰府…
- p005…弟盛國が子貞國を嗣とす、貞國繼いて讃岐守に任し我國より朝鮮に行く船は、必對馬の國に來て守護の符受て渡ること、此頃よりぞ始りたる、初め嘉吉元年公方普廣院殿…
- p005…興と云催促に隨はず、大內介持世御敎書を賜て、少貳を追討す、嘉賴戰負けて對馬の國に落ち來る、…
- p006…古より筑前肥前豐前壹岐對馬は少貳が守護の國にて、これを三前二嶋と云ふ、又宗が家は世々彼が被官たれば…
- p007…其後嘉賴本國を攻め取らんと、對馬の軍勢かり催し、肥前國上松浦に押渡り、大內が爲に破られて引返す、嘉賴死し…
- p007…押渡り、大內が爲に破られて引返す、嘉賴死して後、應仁元年嘉賴が子敎賴、又對馬の勢を催して博多と宰府との間なる見月の地に押渡て、大友幷に大内が守護代の…
- p008…て政資と改めしなるべし、又肥前の軍記に敎賴細川右京大夫勝元が旨に任せて、對馬より出て宰府に入て、大內が爲に討たれ、其子政資高祖の城より打出て、大內が…
- p010…按ずるに今此家の所領二万石の地は、肥前に在り、是れ對馬は彼先祖累代傳領の國と云ひ、又其國に稻生ずべき水田なければ、軍の武役は免…
- p011…同き九年朝鮮の使僧松雲、對馬の國に來て義智に就て、德川殿と長く兩國の好み修めん由を議す是室町殿の御時…
- p013…同き十四年より、昔の如く對馬の船、年毎に二十艘を朝鮮に渡し、釜山港にして交易の利を通せんことを約し、…
松浦 第十上 · 1
- p003…浦大内に隨ひ、道可入道が時に至り、天正の半、又龍造寺隆信に隨ふ、同き十年對馬國の兵船、壹岐の國に押寄て、國人日高を隨へんとす、日高主膳正同甲斐守、宗が…
加藤 第十二上 · 1
- p005…て波わき艦多く摧け破れぬ、これ清正の崇りなりとて、大に恐れしといふ事を、對馬の國人に窃かに承りぬ、…
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