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本多康俊
본문 표기 康俊・本多縫殿助康俊・縫殿助藤原康俊・彥八郞康俊・本多縫殿頭康俊
酒井 第四上 · 1
- p010…に入らせ玉ひ、終日の饗宴を催したり、忠次男五人あり、嫡子小五郞家次、二男本多縫殿助康俊、本多の家をつきぬ、三男小笠原左衞門佐信之、小笠原掃部助信嶺か…
本多 第四上 · 16
- p001…縫殿助藤原康俊は、縫殿助忠次が子、實は酒井左衞門尉忠次が二男なり、縫殿助忠次が曩祖は、…
- p004…すと云、酒井本多其名同しければ、孰か是なる事を知らす、其後忠次死して、康俊繼く、初め長篠の戰の時、康俊七歲にして人質の爲、濃州岐阜の城に趣く、これ…
- p004…ば、孰か是なる事を知らす、其後忠次死して、康俊繼く、初め長篠の戰の時、康俊七歲にして人質の爲、濃州岐阜の城に趣く、これ織田殿の加勢を乞はせ玉ふが爲…
- p004…が爲なりき、十二歲の時、忠次に養はれ、十四歲にして元服し、御諱字を賜りて彥八郞康俊と申す、此時に養父忠次は縫殿助と申せしなり、廿二歲の時、豐臣關白、…
- p004…、豐臣關白、相摸の北條を討たるべきにて、德川殿の人質を望み申されしかば、康俊を遣はさる、此年德川殿關東に移らせ玉ひしかば、康俊下總國小篠の地を給はる…
- p004…質を望み申されしかば、康俊を遣はさる、此年德川殿關東に移らせ玉ひしかば、康俊下總國小篠の地を給はる、五千石慶長元年五月、德川殿、任大臣の御時、…
- p004…下總國小篠の地を給はる、五千石慶長元年五月、德川殿、任大臣の御時、康俊叙爵して、縫殿助に任ぜらる、同五年奧の上杉を御征伐の時、御陣に隨ひ、上方…
- p004…上り、美濃國に着かせ玉ひし日、御方の軍勢、大坂の兵と、笠縫堤に戰ひし時、康俊井伊侍從、本多中務少輔共に馳向ひ、駿河の勢を引て歸り、御感の仰を蒙れり、…
- p004…河國吉田の城は、國中の人質を置かれし所なり、本國なれば案內知りたるらん、康俊馳下りて守るべしと仰下され、引返して彼城を守る明年所領の地加へ給りて、同…
- p004…て、同國西尾城に移る、二萬石是より、三河國に御鷹獵をさせ給ふ度々、康俊が城を假の御所となされ、物賜ふ事、其家臣等に及べり、同八年將軍拜賀の時、…
- p004…が城を假の御所となされ、物賜ふ事、其家臣等に及べり、同八年將軍拜賀の時、康俊從四位下に上られ、御沓の役に候す、大坂の兵起りし時に、康俊嫡子下總守俊次…
- p004…將軍拜賀の時、康俊從四位下に上られ、御沓の役に候す、大坂の兵起りし時に、康俊嫡子下總守俊次と同しく、仰を承りて、馳上り、近江國膳所崎の城を守り、大御…
- p004…追拂ひ、大坂の城下備前島に陣取て城を攻む、翌年の夏、兵再ひ、起りしには、康俊父子、河內國須奈に陣して、奈良口の敵を防き、五月七日、城中の兵、出戰ふに…
- p004…、敵陣を打破り、嫡男下總守俊次二男美作守忠相等みづから首きつて獻る、凡そ康俊が手に打取る所の首百十三、修理亮光忠か子半兵衞某、首二つ切り、嫡子伊織…
- p004…て、膳所崎の城に移る、三萬石此年將軍家御上洛の時其城に入らせ玉ひ、康俊父子に物を賜ふ、同七年康俊卒して、嫡子下總守俊次家を繼ぐ・初め慶長十五年…
- p004…萬石此年將軍家御上洛の時其城に入らせ玉ひ、康俊父子に物を賜ふ、同七年康俊卒して、嫡子下總守俊次家を繼ぐ・初め慶長十五年俊次叙爵し、大坂兩度の御陣…
福嶋 第十二上 · 1
- p010…わたし參らすべき由を下知しければ、家人等悉くに國を去る、酒井宮内大輔忠勝本多縫殿頭康俊等、廣嶋の本城を守れば、本多美濃守忠政第二の城を守て國々の軍勢は引返しぬ…
색인은 본문을 읽고 사람·지명 등에 개체 ID를 붙인 것입니다(표본 점검 정밀도 약 98.6%). 같은 이름의 다른 사람은 괄호로 구분했고, 지면 표기가 다른 비정은 문맥 주석에 적었습니다. 자세히