인물 색인 › 青木一重
青木一重
본문 표기 一重・民部少輔丹治一重・民部少輔一重・靑木民部少輔一重・靑木
靑木 第十下 · 8
- p001…民部少輔丹治一重は、民部卿法印淨憲が嫡男なり、遠く先祖を尋ぬるに、宣化天皇の三代の皇孫多…
- p003…法印にはなされたり、慶長十八年八十六歲にて、大坂の城に卒せしと云ふ民部少輔一重は、初め今川上總介氏眞に仕ふ、今川亡ひ給ひし時、一重むかし新坂の合戰に、…
- p003…せしと云ふ民部少輔一重は、初め今川上總介氏眞に仕ふ、今川亡ひ給ひし時、一重むかし新坂の合戰に、よき敵と組て首取て名を得たりしより、德川殿知し召され…
- p005…初め關白御家人の中、廿四人をすぐつて黃母衣を懸させ、軍の使を成さる、一重其選に入れらる、黃母衣の衆と云ひしなり又廿四人が中より勝り出されて…
- p005…と云ひしなり又廿四人が中より勝り出されて、七手の侍の番頭とは成され、一重又其選に入れらる、七組の番頭といふ大坂の兵起りし時、一方の大將を承…
- p005…計らはせ給ひ、是より都に入らせ給ひ、女房達は御返事給はつて大坂に歸され、一重をば爰に止められて、京職の兵して彼の旅舘を打圍み守らせ、歸ることを許され…
- p005…舘を打圍み守らせ、歸ることを許されず、これ政事錄創業記等の說なり一說に一重は將軍家へ御使に參りしを關東に止められしといふ同五月八日大坂の軍敗れ…
- p005…家へ御使に參りしを關東に止められしといふ同五月八日大坂の軍敗れぬ、其後一重將軍家に召出され、再び御家人とは成りにけり、年七十八歲にて寛永五年に卒す…
伊東 第十下 · 2
색인은 본문을 읽고 사람·지명 등에 개체 ID를 붙인 것입니다(표본 점검 정밀도 약 98.6%). 같은 이름의 다른 사람은 괄호로 구분했고, 지면 표기가 다른 비정은 문맥 주석에 적었습니다. 자세히