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○長尾輝虎越後を治められし事

卷之一 第1話 · 段落 5 · NDL 1078984 23コマ L

人物地名家(氏)官職日付索引へ

兄を三郞といふ、猿松暴者にて父爲景の心に背く。是繼母の讒言故とぞ聞えし。斯くて出家にせよとて、下越後の橡原淨安寺に追ひ遣られけり。金津新兵衞供して米山越にかゝる時、猿松八歲なれば徒の士脊に搔き負ひて山を登り、嶺なる堂におり居て、破籠やうの物取り出し進せけり。猿松遙に頸城府內を眺めやり、やゝ打淚ぐみて、我かく落ぶるゝ事こそ口惜しけれ。軈て軍を起して志を遂ぐるならば、此の山に攀ぢ登り、府內を目の下に見下すべし。然べき軍の地なり、と言れしかば、乳母子なる本條美作守も舌をふるひ、其詞な忘れ給ひそ、と悅びけり。
斯て猿松、九年の間寺に在れども、僧になるべき志なし。天文十四年爲景越中にて討死あり。嫡子三郞暗弱にて越後亂れ、所々を敵に掠奪れたりしかば、父の弔軍せんと思ひ立ち、宇佐美駿河守定行を語らひ、天文十六年正月十八歲にて元服し、平三景虎と名乘、橡尾の城に旗を擧られたり。三郞是を聞き、長尾越前守政景に七千の兵を添へて攻討たしむ。景虎矢倉に在りて、敵は今夜引返すべき物色あり、と言れけるを、定行聞きて、遙々と攻め來り空しく退くべきや、といふ。景虎、敵に小荷駄なし。久しく圍むべき計に非ず。引き退かん處を擊たば勝つこと疑なし、と言はれければ、定行も然るべしとて夜半に打て出づる。果して政景の軍亂れ立ちて敗北しけり。三郞又打向ふ。景虎柿崎の下濱に陣をとり、軈て三郞を打破る。三郞府內を指して引退く時、景虎米山の東阪本にて、我眠氣ざしたり。休みて後追ひ擊たばや、とて小家に入る。定行有る可くもなしとて、追ひ討つならば破竹の勢とは是れなるべしといへども、高鼾かきて眠られしかば、皆斯る時を失ふ事よ、と歎き合へり。稍有りて景虎つと起きあがり、三郞の軍兵山を三分の一彼方に越えたりと覺ゆ。いざ追討てや、とて馬に乘り、螺の貝吹きたてさせ、龜破坂より落しかけ、大に打勝たれけり。定行、今日北ぐるを擊つべき時、空眠せられしは、山を追上らんに敵をかさにうけなば利有るべからず。敵下り坂になりて引立たるを討たんとの事なり。是老臣等が及ぶべきに非ず。今年は僅十八歲。弓箭を取る事、誰やの人か肩を比べなん、とぞ語りける。景虎越後を治め得て高野山に出奔せんとす。長尾家の長臣相集まり、景虎無くば國を敵に奪るべし。いざ、とて關の山に追行きてさま〲に止めければ、景虎の曰く、我年若く威重からず。老臣等我を輕ぜば國の根本立たず。此國人の爲に利を求むるは我身の害を招くなり。是より後吾命を背くまじとならば、神文を書て得させよ。さらずば留まらじ、と言れけるに、固より君と仰ぎ奉るべきなり。いかで命を叛き申すべき、と申しければ、さらばとて立歸り、三郞を隱居させ、是より威を振ひ、越中に攻め入りて父の弔ひ軍を遂げられけり。長臣の中に二心ある者を、林泉寺といふ處にて腹切らせて、國を治められけり。晚年謙信と稱しぬ。