尼子伊豫守晴久、尼子刑部大賀駿河に兵一萬を添へて、備中經山の城を攻めさせらる。此城は中島加賀守が子大炊助元行が守る處なり。元行僅に二百許の兵なれ共些とも恐れず、頓宮次郞左衞門鷲見九郞二郞に百姓儕二百人添へて、寺屋敷といふ地に伏せ置き、阿部左衞門二郞鷲見五兵衞は鬼ヶ城といふ處に隱し置けり。敵侮りて押寄する時、門を開きて打つて出で、合圖の貝を吹けば、鬼ヶ城の伏兵後より廻り、又頓宮等百姓に紙旗を立てさせ、竹鎗を持せ閧の聲を擧ぐる。尼子が軍兵共前後に敵有り、とて助け合はんとすれ共、道細く谷深く、頽れ落ちて亂れける。然れ共攻具を設け取圍みしに、元行が母物具の上に羽折を着刀を橫たへ、女房二十人許相具し、元行本丸に在る時は母出丸を巡り、元行出丸を巡れば母本丸を守りて、士卒の怠を戒む。或夜風雨甚しかりければ、元行百人許にて夜討に出で、半を道に伏置きたり。斯くて亂れ入り、閧の聲を擧げ火を懸けて靜に引いて返る處に、敵追ひ來れば思ひも寄らぬ徑の傍より、伏兵どつと起りて敵三百餘討ち取りたり。元行に防がれて尼子の軍引き返して、復攻むる事無かりけり。