三好家滅びし時、料理庖丁の上手と聞えし坪內某と言へる者生捕となりしが、放し囚にして有りしに、年經て後菅谷九右衞門に賄ひ申しける。市原五右衞門、坪內は鶴鯉の庖丁は云ふにも及ばず、七五三の饗膳の儀式良く知れる者なり。其上子供兩人は、旣に奉公申し候へば、許され候て、厨の事を司らせ申さん、と言ひけるを、信長聞きて、明朝の料理させよ。其鹽梅に依らん、と有りしかば、則坪內をして膳を出させけるを、信長食して、水嗅くて喰れざるよ。其誅せよ、と怒られしかば、坪內、畏り承り候。今一度仕らん。其にても御心に應ぜずば腹切らん、と言へば、信長許容せられたり。偖て其の翌日膳を出しけるに、味の甘き事殊の外に好かりければ、信長悅びて祿與へられけり。坪內辱き由申して、偖て昨日の鹽梅は三好家の風なり。今朝の鹽梅は第三番の鹽梅なり。三好家は長輝より五代公方家の事を執り、日本國の政を執り計ひぬれば何事も賤からず。其の好む所第一等の鹽梅を昨日奉りければ、賤み給ふ事理なり。今朝の風味は野鄙なる田舍風にて候へば、御心に入りたるなり、と言ひければ、聞く人、信長に恥辱を與へたる坪內が詞なり、と言ひ合へり。