元龜元年の春大友左衞門督義鎭、
肥前の
龍造寺山城隆信を討つ。
隆信和を乞ひしかば、
大友兵を加へず。
肥前と
筑後の堺に
千栗と言へる大川あり。
吉岡下總入道宗觀と言ふ者、
龍造寺は大敵なり勝負も分れず、故無く和を乞ひしは謀有るべし。
千栗を渡らん事手易からじ、と言へば、
義鎭も尤なりとて、
豐後の留守に置きたる
佐伯紀伊守惟敎、其の子
彈正少弼惟眞、
田原近江入道紹恩を呼び寄せ、六千の兵を二陣として、
千栗の渡に備へて川を渡る。
隆信は謀りて敵の引退かん所を不意に擊たんと謀りしに、
大友の設け有る事を聞きて追はざりしとなり。