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○鳥居强右衞門忠節の事

卷之四 第10話 · 段落 1 · NDL 1078984 83コマ L

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天正三年勝賴、奧平九八郞信昌が三州長篠の城を圍み攻る。東照宮援兵を織田家に乞はせ給ひ、後卷の謀を廻し玉ふ處に、城中粮米旣に盡きんとせしかば、此旨を告げ奉らん爲、鳥居强右衞門勝商に命じて密に城を出す。鳥居脫れ出る事を得ば、向のかんほうが嶺に烟を擧ぐべし。三日過ぎて又彼の山に烟を兩度擧げなば、後卷無しと知り給ふべし。三度擧げなば後卷有る事を知り給へ、と約しければ、信昌鈴木金七郞を鳥居に添へて遣す。五月十四日の夜、城の西なる山の岩根を傳ひ川に入る。寄手素より大野川、瀧川の水底に繩を張て鳴子を懸たれば通る可きやうもなし。二人水練の達者にて川の淺瀨は能く知りつ。小脇指を抽きて川底を潛り、繩を切つて通りしかば、から〱と鳴りけるを、番の兵共怪みけるに、其の中に一人、五月雨には斯る川をば鱸の通るならん、と言ひければさて止みぬ。二人は早瀧の下廣瀨と言ふ處に上り、かんほうが嶺にて烟を擧げ、十五日に岡崎に參りて、云々の由を申す處に、信長其日岡崎に著陣せらる。鳥居は、信昌尙心許無くや候はん、忍び得て城に入る事を得ば、早後卷候べき事審に申さん、とて引き返す。鈴木は信昌が父美作守貞能に告べし、と鳥居に別れけり。鳥居かんほうが嶺に上り相圖の烟三度擧げて後、篠原と言ふ所に行き忍び入らばやとするに、柵重々にふりて砂を撒き、出入の人の足趾を改めしかば、中々入るべき樣無くて躊躇ひけるを、穴山の手の者見附て怪みて遂に搦められけり。勝賴逍遙軒信綱を以て子細を問はるゝに、鳥居、事の由を有の儘に答へしかば、勝賴鳥居を呼びて、汝が命を救くべし。汝城際に往きて信長は上方の軍にて、此城の後卷思ひも寄らずと言はば城兵降參すべし。然らば汝に厚く賞せん、と言はれしかば、鳥居則ち心得候とて城門近く至り、後卷とて信長父子岡崎迄昨日旗を出され、先陣は一の宮に陣せり。德川殿御父子、野田まで御馬を出されたり。此の城運を開かん事掌の內に有り、と言ひければ、甲州の者共大に驚き、鳥居を引き連て勝賴に斯くと申せば、大に怒りて城に向て磔にして殺されけり。長篠にて勝賴敗北して後、信長を始め鳥居が無雙の忠なる事を感じ、作手の甘泉寺に懇に葬られけり。