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○大河內政房節義の事

卷之四 第9話 · 段落 1 · NDL 1078984 83コマ R

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天正二年勝賴高天神の城を圍まんと師を出す。小笠原與八郞長忠、軍の目附大河內源三郞政房と相議して防ぎけり。東照宮後詰を信長に乞はせ給ふ。勝賴城の巽の嶺に陣し、大文字の旗を中村の內公文といふ所に立つる、後まで其地を大旗と稱す。兵粮竭き士卒疲るれば後卷を待ち兼ね、姉川の戰功を捨てさせ給ふ、と怒りて七月二日城を出て降參す。軍の目附大河內政房は、應政公の妾華陽院の甥なり。勝賴に降らざりしかば、小笠原生虜て石の牢に入れ置きたり。勝賴降らば本領に倍して當て行ふべし、と說かせけれども志を變ぜず。勝賴怒つて牢の口を鎖す。政房、此年より高天神落城に及ぶまで八年の間牢中に在り。甲斐の士、橫田甚五郞高天神に來りて在番せしが、大河內が節義を深く感じ、殊に懇に勞りたり。斯くて東照宮高天神を攻めさせ給ひて、天正九年三月二十二日の夜、城の守將岡部丹後眞幸、橫田甚五郞尹松、相木市兵衞昌朝已下切つて出で、岡部は討死し、橫田、相木は切り脫て甲府に落ち行きけり。城落ちければ石川伯耆守數正城に入りて政房を搜し出す。牢中に年久しく有りて足痿えければ、筵に乘せて東照宮の御前に出す。多年石の牢に有りし艱厄言ふ可からず、とて御淚を流され、御手づから刀、脇差、黃金を與へらるゝに、政房生虜れし事を口惜く思へる色現れしかば、人々、敵の虜となる事は小笠原が不義にして武田に降參せし故なれば、何方に遁れ出づ可きや。志は比類有るまじき事なれば、生虜と成りぬる事中々譽となりたり、と口々に言ひけるが、猶も其の心に憤りけん、剃髮して肖空と稱せしが、仰によりて尾張の津島の湯に浴し、足の痿も癒えければ、遠州稗原の地を賜りしが、長久手の戰に討死しけるとぞ。