天野三郞兵衞康景は、天野遠景が苗裔にて、百貫の地を領し來りしを、東照宮瀧坂に置せ給ひ、遠江榛原郡を切取に仰出されし大剛の人なり。後駿河の高國寺三萬石の地を賜る。駿府の城經營の時竹を苅らせ積置き、足輕に守らせしに、御領地の百姓竹を盜みしを見咎めて斬殺す。殘る者共逃げ散りて代官井戶某に訟へしかば、井戶、百姓を殺したる下手人を出せ、と天野にいふ。天野、盜を殺す事罪に非ず。守る者罪有らば、先づ天野罪に行はるべし、と云ひければ、井戶訟へけり。東照宮、足輕を誅せよ、と仰出されしに、天野始の如く申せしを聞し召し、天野は不道の仕業する者に非ず。子細有らん、と仰せられけるに、本多上野介正純天野に逢ひて、仰を否むは臣たる者の道に非ず。臣として君命を承らざる事やある、と云ひけるに、天野、さては臣たらずば苦しうも候はじ、と言ふ儘に三萬石の祿を辭して、慶長十二年三月二十九日、高國寺を去つて行方知らず成りにけり。程經て大久保忠隣尋ね出し、年頃親しかりしかば小田原の入イ人かといふ所に隱し置かれけり。罪無き人を殺すに忍びず、三萬石の祿を捨てて隱れし志を、人々稱し合へり。