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○大久保忠隣忠直の事

卷之十八 第5話 · 段落 1 · NDL 1078984 285コマ R

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大久保相模守忠隣は忠貞の人なり。關ヶ原の時台德院殿、木曾路より攻上らせ給ひしに、石田敗北の後御著陣有りしかば、東照宮御對面ましまさず。忠隣近習の士を以て、申し度き事の候、と申す。中々口にも言ひ出されず、と言ふを聞きて、さらば直に申さん、とて座を立ちけるを、さらば先づ申して見ん、とて斯くと申せば、色を變じて內に入らせ給ひしが、稍有りて、相模は歸りたるか、と仰せ有り。猶待ち居て退かん氣色は候はず、と申せば、飽くまで剛直の者なり。よも空しくは歸らじ、とて召されけり。忠隣御前に參りて、先づ何とも言出さで淚を流しければ、夫は如何に、と仰せ有り。忠隣、此度上田を攻め候て道に遲留の候ひき。上田を攻め候は忠隣と正信が仕業に候。二人の中一人は召出され、罪を糺させ給ふべきにて候。さは無くて不和に及ばせ給ふ事僻事にてこそ候へ。過ぎし年大軍にて攻めたりし時も、眞田が智勇に挫がれ候ひき。上田固くとも遂に攻落すべきを捨てて上らせ候ひしに、關ヶ原にて石田今暫し支へなば、など戰功の無かるべきに、石田脆く敗れて手を空しくなし給ひぬ。君萬歲の後に日本を治め給ふべき御嗣に、人の侮り奉るべき事を爲し給ふは、怒に引かれて忘れさせ給ふにや。疾く嗣君に自害を勸め奉るべし、と申されしに、汝が言無禮なり、とて立たせ給ふ所を押止め、忠隣が申す處理ならば聞し召し入れられよ。正しからずば首を刎ねられ候へ、と憚る氣色なく申せしかば、聞し召し入れられ、汝が言ふ所尤なり、とて軈て御對面御座しましぬ。忠隣は相州小田原の城を賜はりたりしが、慶長十八年切支丹を改むる仰を蒙りて京都に赴きたりしに、謀叛の志有る由訟へ申す者あり。本多正信、忠隣が惡逆の志有る由申しける、と世に申せしが、忠隣をば井伊直孝の領國佐和山に閉籠め置かれけり。板倉勝重仰を承りて忠隣が旅宿に行く。折節忠隣碁を圍み居たるに、側の人、殿を流罪の爲に板倉來れる由云ひけれ共、驚く體も無く勝重に逢ひ、仰を承り更に恨の色も無し。從者大に怒り、讒言により流罪にせられ候事口惜しき事なり。切死せん、と言ひしかば、京都の騷大方ならず。二條の城にて門々を守りけり。忠隣武具を繩にて搦げ勝重に授けしかば、京都の騷鎭りぬ。夫より佐和山に行かれしかば直孝能く勞り申されしが、或時、申開くべき旨候べし。直孝承りて達し申さばや、と語られしに、忠隣、理を正して申さんには、聞召し明らめられん事必定なり。さらば讒言を聞召し、無罪の者を流されし過を人知らば、君の非を擧ぐるなり。此忠隣が志に非ず。我斯く朽果つるとも露塵ばかりも惜からず、と言はれしかば、直孝感服せられけり。忠隣徒然の餘に、忠臣記二卷を作られけるとぞ。