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○堀秀政を名人太郞といひし事

卷之十八 第4話 · 段落 1 · NDL 1078984 284コマ L

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堀久太郞秀政後左衞門督といふ。士より下部に至るまでつかふ。上に下の情を盡すを第一に專ら心掛けられけり。斯かれば下に恨むる者なし。奉行の從者と荷を持者と輕重を爭ふを聞きて、其荷物を自ら振りかたげ往來し、我力は彼者より優れり。然れ共一里許負ひたれば勞れたり。持つ事能はじと言ふは尤なり、と決斷せらる。或時武者押に旗さし後れたりけるを尤めけるが、秀政自ら旗を負ひて試み、さては吾乘つたる馬の肝能き故ならん、とて肝弱き馬に乘りたれば旗さし後れざりき。世に名人太郞と言ひけるは、斯く下を仕ふ心を用ひられし故にこそ、と人言ひ合へりけり。小田原陣中に卒せらる。年三十八なりとかや。