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真田昌幸
本文表記 昌幸・眞田・眞田昌幸・眞田安房守昌幸・安房守・眞田父子・眞田安房守・安房守昌幸・君・武藤喜兵衞昌幸・昌平・房州
眞田昌幸智謀北條勢を破ぶる事 卷之一 · 14
- p01…、武田方の先鋒山縣昌景大に敗れければ、信玄其の先鋒を繰代へ、眞田安房守昌幸をして、次囘の先鋒となしける程に、昌幸は手勢僅に二十八騎を從…
- p01…鋒を繰代へ、眞田安房守昌幸をして、次囘の先鋒となしける程に、昌幸は手勢僅に二十八騎を從へ、敵陣を見積りけるに、山縣敗れて後は…
- p01…倉澤山に陣を取り、山風に旗指物を飜へし、悠然として扣へたり。昌幸密に敵陣を窺ひ、何やらん打點頭くの體なりしが、軈て馬を返して…
- p01…辻、淺見、根津、望月、樫山など一騎當千の兵八百餘人を從へて、昌幸の陣所に來りければ、善き所へ來られし、とて豫て設の酒宴の席を…
- p01…とするや。此の大敵を前に扣て、酒宴とは心得ぬ、と問ひければ、昌幸笑うて、計は密なるを以て良とす。故に今敢て爰に云はず。先づ氣…
- p01…此度は如何なる謀計をか用ふるならんか、と想ひつゝ居たりしが、昌幸暫くにして布下彌四郞を呼び近け、其方は是より此の近邊にて、酒…
- p01…ば、布下は、畏り候、と急ぎ諸方を駈廻り、數多の酒を求め來るを昌幸大に悅び、悉皆酒樽の鏡を打拔かせ、是れに柄杓を添へ諸卒を呼び…
- p01…ば謠ふも有りて、左も勇々しくぞ見えにける。信綱苦々しき體にて昌幸に對ひ、這は何等の擧措なるぞ。陣中に於て諸卒に酒を飮ましめば…
- p01…酒を飮ましめば必定過ち有らん。此儀は無用なるべし、と云へば、昌幸答へて、先々見給ふべし、我胸に一計有り、とて士卒を呼び、何と…
- p01…を凌ぎ手足暖まり候、と舌鼓を打鳴して笑ひ樂むの體なりしかば、昌幸指さし、那れ見よ方々。薩埵嶺倉澤山の峠等に備へし敵兵、左こそ…
- p01…又々祝ひの酒宴を仕らん、と力足を蹈み鳴らしてぞ悅びける程に、昌幸令して、左らば打立つべし、と眞先駈けて馬を出しければ、誰か猶…
- p01…へ押登りけるに、折節雨霰降りて其の寒き事云はん方なし。然れ共眞田勢は更に事ともせず、喚き叫んで押寄せけるに、昌幸が謀りしに違…
- p01…なし。然れ共眞田勢は更に事ともせず、喚き叫んで押寄せけるに、昌幸が謀りしに違はず、雨霰降りて寒氣殊に嚴敷かりければ、峠に扣へ…
- p01…り、陣所々々は唯旌旗指物のみ建て置きて一人も居らざりしかば、昌幸令して、早く小屋々々へ火を掛け、鎧武具は望み次第分取りせよ。…
羽柴秀吉遠計を以て信玄を欺く事 卷之一 · 22
- p01…ひける所に、此度武田信玄今川を攻潰し、北條の後詰と戰ひしが、眞田の智計を以て北條家の大軍を破り、其後甲府へ歸陣の途中、信玄勝…
- p03…の始めにて有りけるか、と皆々恐を懷き、安き心地も無かりける。眞田昌幸之を聞きて、偖ては織田家の猿冠者めが所業にて、我が君を欺きし…
- p03…して信玄の病床を訪ひ奉りしに、信玄賴み少なの體に在しければ、昌幸進み寄り、君の御病體は如何に候や、と伺ひしに、信玄答へて、甚…
- p03…所詮本復覺束なし、と絲の如き甚と細りし聲を振り放ちて宣へば、昌幸之を承り、君の御病氣の根元を直さん良藥有り。之を用ゐ給はば忽…
- p03…、と聞き、信玄起き直りて、夫は如何なる良藥ぞ、と尋ねけるに、昌幸答へて、御病根は賴む甲斐なきにつけては誓なし。勝手の神の名こ…
- p03…ば、信玄驚き、汝我が病根を如何して知りたるぞ、と問ひけるに、昌幸笑うて、是れ信長の家臣羽柴秀吉が謀計にして、是れぞ人を欺く子…
- p03…り。疾々北條を擊ちて上洛を遂げ、豫ての望みを果さんとあれば、昌幸も倶に欣喜び、童子が歌を以て我が君の命を縮めんとせし秀吉こそ…
- p03…一の書翰を以て、秀吉が肝を冷させ吳れんず、と大に怒れば、信玄昌幸が智略を感じ、古今に又も得難き名士なり、とて信州上田の城を與…
- p03…、古今に又も得難き名士なり、とて信州上田の城を與へしにより、昌幸恩を謝し、是により上田の城へ移轉しが、其後昌幸何やらん書翰を…
- p03…與へしにより、昌幸恩を謝し、是により上田の城へ移轉しが、其後昌幸何やらん書翰を認めて京都へぞ送りける。此の時羽柴秀吉は京都の…
- p03…を亡ふ事近きにあり、と獨り笑みして在りける所、信州上田の城主眞田安房守方より使者入來の由告げしかば、秀吉怪み、昌幸は漸く此頃上田の…
- p03…上田の城主眞田安房守方より使者入來の由告げしかば、秀吉怪み、昌幸は漸く此頃上田の城を與へられしと聞きつるに、何用有りて我が方…
- p03…れば、定めて通例の見舞なるべしと想ひつゝ、其の使者を呼入れ、昌幸が書翰を披き見れば、豈圖らんや、他の文言とては一つも無く、唯…
- p05…ければ、秀吉大に悅び、竹中氏好き所へ來られたれ。今武田家の臣眞田昌幸方より斯く怪しの歌を送れり。某按ずるに、我が不學なるを侮り、…
- p05…なき歌を以て我れを迷し、返辭の樣子を探らん爲めなるべし。憎き眞田めが振舞哉。いでや引裂捨てんず、と大に怒りけるを、竹中押禁め…
- p05…振舞哉。いでや引裂捨てんず、と大に怒りけるを、竹中押禁めて、眞田昌幸は未だ若輩なりと雖も、中々尋常の者に非ず。何ぞ童蒙の戯れをな…
- p05…へ居しが、暫く有りて手を拍ち、一度は驚き一度は感じ、偖怖しき眞田哉。先達君の遠計にて甲府表に童謠を流行せ、信玄が心を苦しめし…
- p05…るべし、と申しければ、秀吉直立ち上りて憤り、我れ遠からず彼れ昌幸が生首見ずんば有る可からず、と以ての外に立腹なしけるにぞ、竹…
- p05…んば有る可からず、と以ての外に立腹なしけるにぞ、竹中笑うて、昌幸は忠臣なり。君たる信玄ある事を知りて、他の信長公在す事を知ら…
- p05…々亡はんや。見給へ、秀吉が恩を施し軈て幕下に附けんものとて、眞田が使者を重く饗應し、早々返翰を認めて返されける。深意の程こそ…
- p05…ける。深意の程こそ凄まじけれ。時に永祿十二年六月なり。斯くて眞田は使者の歸りしと聞き、急ぎ呼寄せ、京都の樣子を尋ね、秀吉より…
- p05…見るに、其の文體甚だ叮嚀にして、怒の心少しも見えざりければ、昌幸心中に怖を懷き、誠に秀吉は地中の龍に等しき武士なり、と彌々內…
眞田昌幸奇計の事 卷之二 · 5
- p01…乘りて潮の涌くが如く押行けるは、劔呑至極の事なりけり。然るに眞田昌幸田島村の方に當りて、陽氣炎々として日に映じけるを見て、偖は敵…
- p01…兵衞、馬場美濃守の兩人、其勢都合五千餘騎にて德間井に向はせ、眞田安房守昌幸、同舍弟隱岐守の兩人は、同じく其勢五千餘騎にて曾我山の押へと…
- p01…にて曾我山の押へとなし、雙方へ手分をしてぞ遣はしける。偖ても眞田昌幸は田島村の地雷火を難なく避け、却りて兩道より攻掛る手術をなし…
- p01…殿と覺えたり。斯く申す某は、武田家に於て眞田一德齋が三男なる安房守昌幸なり。此度我々を小田原へ引き入れ給ふは、極めて良計有らんと存…
- p01…道へ御出あらんと存じ、先刻より待ち受けしに遲かりし事哉。いざ昌幸松田殿へ見參に待ち受け、御馳走を振舞ひ申さん、と後の方を招き…
武田信玄自己の像を造る事 卷之二 · 10
- p01…君御在世も同じからん。御當家萬々歲此上なし、と頻に譽しかば、眞田安房守昌幸、長坂跡部の兩人に向ひ、各方は君の肖像を造らせ給ふを譽給ふな…
- p01…何と答ふる辭もなく閉口して居たりしが、信玄熟熟之を聞き、誠に眞田が申す所至極せり。我れ旣に病死とあらば近國の諸侯競ひ來り、先…
- p01…したり、と太刀拔き放ち、已に彼の像を切り捨てんず勢ひなれば、昌幸之れを制し、暫時御待ちあられたし、可惜正像を今無解に切り捨て…
- p01…ば難有し、と謹んで申しければ、信玄何に致すや、と問はれしに、昌幸答て、臣所存御座候へば、何は兎もあれ賜はれたし、と乞けるにぞ…
- p01…何か子細の有る事ならんと思され、然らば汝に與ふべし、と其まゝ眞田に賜ひける。軈て眞田御暇を告げて此の木像を我が館に持ち歸り、…
- p01…んと思され、然らば汝に與ふべし、と其まゝ眞田に賜ひける。軈て眞田御暇を告げて此の木像を我が館に持ち歸り、一間の閑所に引き籠り…
- p01…を含み、何故に不動明王の像を祀りしぞ。汝が信仰せし故なるか。昌幸答て、君には那を不動明王と御覽ありしや。信玄大に笑ひ、繩を持…
- p01…繩を持ち劔を携へ、後に炎火を負は何んぞ、不動明王にあらずや。昌幸笑うて、那こそ先達て乞ひ受け奉りし君の正像なり。是某が工夫を…
- p01…と之れ有るまじ。然れば君の御姿損せずして後世にまで傳はらん。昌幸が捨てて捨てざるは先づ斯くの如し、と有りしかば、一座の諸將皆…
- p01…德川甲府へ亂れ入ると雖も、此像有ることを知らざりしこと、誠に眞田が明智と謂ふべし。因て今に其像遺れりと云ふ。…
眞田昌幸北條勢を欺く事 卷之二 · 6
- p01…眞田安房守昌幸僅に二千餘騎を以て、北條の大軍と屋布に對陣なしけるにぞ、北條…
- p01…所なり。敵の擧動を窺ひ機に乘りて攻掛るべし、と扣へたりしに、眞田安房守は別府若狹伊勢崎十郞石田郡次などに命じて、其夜陣中に松明三百…
- p01…は來らぬぞ。帶紐解きて眠れや、と前後も知らず臥したりけるに、眞田の斥候此體を窺ひ濟し、斯くと告げ來りしかば、昌幸大に悅び、敵…
- p01…たりけるに、眞田の斥候此體を窺ひ濟し、斯くと告げ來りしかば、昌幸大に悅び、敵我が籌策に乘りたるぞ。今宵こそ北條勢を破るべし、…
- p01…そ北條勢を破るべし、と先づ一方へは長根肥後守千餘騎、一方へは眞田安房守昌幸千餘騎にて山手を廻り、左右二手に分れて押寄せたり。北條勢は思…
- p01…負討死數知れず、散々になりて小田原までぞ引き退きける。然るに眞田方は一人も損せず、敵の捨てたる武具、馬具、旗幕、指物に至るま…
眞田昌幸卽謀の事 卷之四 · 8
- p01…、と命じければ、土屋、初鹿野の兩人大に喜悅びて退出せし後へ、眞田昌幸來りて謁しければ、勝賴今宵夜擊の事を物語るに、眞田大に笑ひ、…
- p01…後へ、眞田昌幸來りて謁しければ、勝賴今宵夜擊の事を物語るに、眞田大に笑ひ、直江兼續は尋常の敵に非ず。夜擊をなさば極めて其の用…
- p01…が慮り甚だ過ぎたり。直江何どて今宵用意すべきや、と云ひしに、眞田は答へもあらず、冷笑うて出でにけり。去程に土屋初鹿野の兩人は…
- p01…き、面色土の如く恥かきの體にて本陣に歸りければ、勝賴は初めて眞田が申せし事を感じける。斯くて又昌幸申しけるは、奈何に土屋初鹿…
- p01…に歸りければ、勝賴は初めて眞田が申せし事を感じける。斯くて又昌幸申しけるは、奈何に土屋初鹿野殿、今一度直江が陣に夜擊を蒐けら…
- p02…り、と申しければ、劉表も張繡も其高論にぞ服しける。賈羽の事と昌幸の事とは追擊と夜擊の差こそ有れ、其趣は一にして、賈羽は早く昌…
- p02…幸の事とは追擊と夜擊の差こそ有れ、其趣は一にして、賈羽は早く昌幸は晚ければ、卽ち昌幸は同じ謀を二度したるものにして、敢て奇な…
- p02…の差こそ有れ、其趣は一にして、賈羽は早く昌幸は晚ければ、卽ち昌幸は同じ謀を二度したるものにして、敢て奇なりとするに足らずと謂…
眞田幸村前後奇計の事 卷之四 · 1
- p01…れば、憐れ上田城は細粉に蹈崩されんず樣なりける。去れば流石の眞田昌幸も城兵僅に二千有餘、今は防禦の術も盡きたりける程に、如何にせ…
眞田幸村智謀の事 卷之四 · 7
- p01…織田德川北條の三將上田城を攻落さんとて押寄せけるに、何分にも眞田が智謀に當り難ければ、是非なく遠攻に致しければ、是れには昌幸…
- p01…眞田が智謀に當り難ければ、是非なく遠攻に致しければ、是れには昌幸困じ果て、斯くては所詮糧食に事を缺かん程に、籠城は心元なしと…
- p01…、忰幸村は冷笑ひ、今宵某敵兵を欺き必ず一汗流させ申すべし。又君には本丸に在て篤と幸村が計らひを御覽あれ、と申しければ、昌幸…
- p01…又君には本丸に在て篤と幸村が計らひを御覽あれ、と申しければ、昌幸、然らば汝宜しく計らへ、と申しける。昌幸が大膽幸村が不敵何れ…
- p01…あれ、と申しければ、昌幸、然らば汝宜しく計らへ、と申しける。昌幸が大膽幸村が不敵何れも類ひ稀れなる英智なり。幸村は夫れより松…
- p01…より越後路へ落ち行く體を示しければ、三方の寄手之を見て、偖は眞田昌幸籠城叶ひ難きを察し、越後路へ落行く者ならん。いざや追駈け武具…
- p01…傳ふるの習ひに、一人斯くと言ひ出せば聞く者之れに附會し、是れ眞田は上杉が方へ落行くと覺えたり。如何樣追駈け高名せん、と思慮淺…
眞田幸村稻苅陣の事 卷之九 · 2
眞田昌幸父子三人始末の事 卷之十七 · 68
- p01…眞田安房守昌幸は、海野小太郞幸氏二十一代の末なり。父海野彈正幸隆信州眞田に…
- p01…。武田家の臣となる。嫡子源太左衞門信綱は長篠にて討死す。二男武藤喜兵衞昌幸と云ふ。長篠の後高坂彈正五ヶ條の諫を申しける。其一條にて、昌…
- p01…幸と云ふ。長篠の後高坂彈正五ヶ條の諫を申しける。其一條にて、昌幸に兄の家を嗣がせられけり。父の幸隆後一德齋と號す。昌幸信玄の…
- p01…にて、昌幸に兄の家を嗣がせられけり。父の幸隆後一德齋と號す。昌幸信玄の近習にて、十八の歲川中島にて鎗を合せたり。天正十年勝賴…
- p01…て鎗を合せたり。天正十年勝賴諏訪に陣し、四方より敵來りし時、昌幸、吾妻の城に籠られよ、と言ひけれども、長坂長閑其謀を用ひず。…
- p01…て死して國亡びぬ。北條氏政兵を出して甲府を攻取らんとする時、昌幸德川家に屬し、依田信蕃と碓氷嶺に陣して北條の粮道を塞ぐ。東照…
- p01…、甲斐の都留、信州佐久二郡に換へらるべし、と約あり。是より前昌幸沼田の城を攻取りて要害の地とせり。眞田に上田を與へ、沼田をば…
- p01…し、と約あり。是より前昌幸沼田の城を攻取りて要害の地とせり。眞田に上田を與へ、沼田をば氏政に渡すべき由仰せ出さる。上田は元よ…
- p01…へ、沼田をば氏政に渡すべき由仰せ出さる。上田は元より信玄以來眞田が居所なり。昌幸、我德川家に功有りと雖も、僅に上田と沼田を賜…
- p01…に渡すべき由仰せ出さる。上田は元より信玄以來眞田が居所なり。昌幸、我德川家に功有りと雖も、僅に上田と沼田を賜はりぬ。賞甚薄し…
- p01…、秀吉、東照宮の上京無き事を怒りて此を悅び、密に上杉景勝に、眞田に力を合せよ、と下知せられしかば、千六百の兵を眞田が許に援と…
- p01…杉景勝に、眞田に力を合せよ、と下知せられしかば、千六百の兵を眞田が許に援とす。東照宮、眞田は奸謀有る者なり、と元より憎ませら…
- p01…、と下知せられしかば、千六百の兵を眞田が許に援とす。東照宮、眞田は奸謀有る者なり、と元より憎ませられける上、無禮の答を怒らせ…
- p01…柴田七九郞康忠を將として、七千の兵を以て上田を攻めさせらる。昌幸、城より一里許隔てたる加賀川を敵渡る時、半途を打つべしと思ひ…
- p01…三遠の物師共なれば、敵の後陣二の見の勝有らん、と云ひければ、昌幸、尤なり、とて城に近き砥石の城に嫡子信之、矢津の砦に矢津但馬…
- p01…喰ひ違ひに結ひて簾を懸け、其蔭に伏兵を置き、鐵炮を打懸くる。昌幸思ふ處に引受け、城門三方より一同に打つて出でたれば、寄手支へ…
- p01…平七郞右衞門を始め引返し來れり。平介は小高き處に蹈堪へたれば眞田も進み得ず。其間僅十間許に過ぎざれども忠世少しもひるまず。日…
- p01…吉、敵小勢なれども必定近所に伏兵有るべし、とて進まず。其間に昌平城に引入りけり。此日酒井與九郞殿して敵の首を取りければ、其日…
- p01…して敵の首を取りければ、其日の一の功名なり。翌日忠世、康忠、眞田が枝城丸子を攻めんと千曲川を渡るを、眞田見て海野町へ押出し、…
- p01…り。翌日忠世、康忠、眞田が枝城丸子を攻めんと千曲川を渡るを、眞田見て海野町へ押出し、八重原を一騎打に相働く。忠世、鳥居、平岩…
- p01…岩に、後を詰めば敵の中を取切り討取るべし、と言へ共同心せず。眞田引取りたり。味方は八重原に陣し、眞田も城を出でて陣し、足輕軍…
- p01…べし、と言へ共同心せず。眞田引取りたり。味方は八重原に陣し、眞田も城を出でて陣し、足輕軍有り。芝土居を築き柵を結ひ、苅田働に…
- p01…として五千餘援兵たり。されども秀吉の下知により、景勝大軍にて眞田の後卷するとの聞え有り。諸將相謀りて陣拂す。昌幸が次男左衞門…
- p01…景勝大軍にて眞田の後卷するとの聞え有り。諸將相謀りて陣拂す。昌幸が次男左衞門佐信仍信仍或本にノブタカと訓ず何れが是なるを…
- p01…が是なるを知らず附け慕はんとす。大返に返して軍すべき物色を昌幸見て、信仍を制して追はざりけり。諸將歸陣の後昌幸大息吐いて、…
- p01…すべき物色を昌幸見て、信仍を制して追はざりけり。諸將歸陣の後昌幸大息吐いて、德川殿は誠の英雄なり。加勢を以て城を攻むる色を顯…
- p01…、德川殿は誠の英雄なり。加勢を以て城を攻むる色を顯したる故、昌幸其謀に陷り、防ぐにのみ心有りて、夜討朝駈の志夢にも無かりしな…
- p01…閤と和平なりしかば、景勝の加勢の賴みも無く、信州甲州の人々を眞田賴みて、秀吉に申して德川家に歸り屬すべき旨を申せば、御許容あ…
- p01…家に歸り屬すべき旨を申せば、御許容あり。天正十五年正月七日、昌幸、信州深志の小笠原右近大夫貞慶と共に駿府に參りて、東…
- p02…東照宮も昌幸が武勇侮り難しと思召して、嫡子信之を本多忠勝が婚にせん、と仰…
- p02…しと思召して、嫡子信之を本多忠勝が婚にせん、と仰せられしに、昌幸、夫は聞き謬ならん。本多が女を信之が妻にせん事更に望みに候は…
- p02…れじかば、東照宮使を以て、云々なりと仰せ送られしかば、果して昌幸聞受けたりと云ふ。…
- p03…雖も、上野の沼田は、天正十年德川殿と和平の時相渡さるべきを、眞田恣なる事を申して北條家志を失ひ候。早く安房守に、彼地を北條に…
- p03…時相渡さるべきを、眞田恣なる事を申して北條家志を失ひ候。早く安房守に、彼地を北條に渡すべき旨を示されなば、氏政上京せん、とぞ申…
- p03…部岡越中融成入道江雪大坂に赴きければ、秀吉事の由を聞き給ひ、眞田が上州の內の所領三分二竝に沼田の城を北條に渡し、其換地には德…
- p03…內の所領三分二竝に沼田の城を北條に渡し、其換地には德川家より眞田に與へらるべし。同所三分一名胡桃城とも、眞田已前の如く領すべ…
- p03…地には德川家より眞田に與へらるべし。同所三分一名胡桃城とも、眞田已前の如く領すべき由江雪に命ぜられけり。斯くて眞田が方より沼…
- p03…桃城とも、眞田已前の如く領すべき由江雪に命ぜられけり。斯くて眞田が方より沼田を武州鉢形の北條氏邦に渡し、氏邦其從士猪俣能登範…
- p03…直を沼田の城代とせしに、田舍人にて得失の辨無く、名胡桃の城を眞田が領せし事を怒り謀つて城を奪ひ取りたり。昌幸太閤に訟へしかば…
- p03…く、名胡桃の城を眞田が領せし事を怒り謀つて城を奪ひ取りたり。昌幸太閤に訟へしかば、太閤、北條は沼田を得ば上京すべきと約しなが…
- p03…捨て逃落ちければ、眞田信之後伊豆守城に入る事を得たり。昌幸は去る天正十三年以來秀吉の恩顧を得しかば、大谷吉隆に申して次…
- p03…て次男信仍を秀吉の許に人質に出しけり。其後石田兵を起すの時、眞田父子三人は奧州に打向ふ途中に、石田が使來りて、秀賴公の爲に旗を擧…
- p03…の地甲斐を添へて參らせん。僞無き證に、とて起請文を送りけり。昌幸素より德川家に二心有れば、さらば引返すべし、といふ。信之、是…
- p03…。爭か容易く討滅さるべき。思ひも寄ざる事なり、と諫むれども、昌幸聞入れず。…
- p04…許されよ。信仍は豐臣家の爲に身を失ひ申さん志なり、といへば、昌幸聞きて、兄弟の爭各其理有り。太閤世を過させられし後此事の起れ…
- p04…すべし。信之は是より心任にせよ、とて別れしといへり。又一說、昌幸云ひけるは、會津より宇都宮に至りて七日路なれ共、日の岡の徑よ…
- p04…寄ず、とて遂に兵を引分けて參りければ、東照宮、信之を召して、安房守が片手を折りつる心地するよ。軍に勝ちたらば必ず信州を賜はるべ…
- p06…昌幸は、引返して沼田の城にて信之が妻に對面せん、と云ひけるに、信…
- p06…。厩に葦毛の馬有るべし。厨の土間に繋げ、とぞ下知せられける。昌幸聞きて、吾過なり。人々能く聞き候へ。日本一と世に云へる本多中…
- p06…るべけれ。此婦人有らんには眞田が家危からじ、と言ひけるとぞ。昌幸夫より須河に至り、高間越に懸りて上田に返りけり。台德院殿木曾…
- p06…禍を招かるゝにてこそあれ。降參せよ、と仰せ有りしに、昌幸聞きて、秀賴の爲に城を守り候。攻められば一矢仕らん、と答へし…
- p06…ば信之に腹切らせ、其後城を攻破るべし、と仰せ送らせられしに、昌幸聞きて、太閤恩深き人々の背き候は、此人々心の同じからざる故な…
- p06…とて陣を寄せらる。其日は百姓の家に込入りたりしに、榊原康政、眞田今夜必ず夜討すべし、とて物見を出し、篝火を透間無く焚かせたり…
- p08…寄手の先陣地に犇と跪きてけり。本多正信下知して城をば責めず。昌幸と信仍は中の手に出づるを、牧野右馬允康成、同新次郞忠成馳せ向…
- p08…牧野右馬允康成、同新次郞忠成馳せ向ふ。其間二町許も有らんに、眞田父子八十四人の手鼓を打つて高砂の謠をうたふ。榊原、憎き奴かな、と…
- p08…澤五右衞門、敵の附入心許なく候。疾く城に入らばや、と諫めて、眞田高砂の謠を終らずして引入りけり。康政、康成押續いて寄せけるを…
- p10…夫忠政を上田の押とし、台德院殿圍を解かせ給ふ。榊原殿せしに、眞田遙に見て、榊原が有樣吾を侮れり。追駈けて食止め一軍せん、と云…
- p10…榊原が有樣吾を侮れり。追駈けて食止め一軍せん、と云ひけるに、眞田が許に年老たる法師武者の謀由々しき有りけるが、康政程の者爭で…
- p10…に、果して違はざりけり、とぞ仰せられける。石田が軍敗れしかば眞田父子を誅せられん處に、信之、此度父と引分れて參り候は、父を助けん…
- p11…ば、台德院殿に申すに、信之父を助けんと言ふは理なり。されども安房守に遮られて關ヶ原の軍に後れたり。必ず安房守を誅すべし、とて御…
- p11…は理なり。されども安房守に遮られて關ヶ原の軍に後れたり。必ず安房守を誅すべし、とて御許されの色無かりしかば、伊豆守是を承り、又…
- p11…を諫めしかども、用ひざれば力に及び候はず。只一つ志す所の候。安房守を誅せられんより先に、先づ斯く申す伊豆守に切腹を仰せ出され候…
- p11…の中に伊豆守を誅せられよ、と云ひも終らぬに、康政、心得て候。房州御赦免の事は康政が申上げて事能くせん。昔の義朝には大に異る豆…
- p11…言ひて其旨を申せしかば、東照宮、台德院殿も聞召し入れられて、眞田父子許されしといへり。…
- p12…信之に信濃十二萬石の地を賜り、昌幸、信仍は御赦を蒙り、城を出でて紀州高野の麓九度山に引籠る。信…
- p12…山に引籠る。信仍常に父と兵法を談じて、天下の時勢を計りけり。昌幸は六十七歲にて九度山に死す。其後大坂の亂起りしに、秀賴、信仍…
- p15…御所の前に出すべき、とて打笑ひ居たりとなり。○元禎按ずるに、昌幸德川家に服從し奉りて後、關ヶ原の亂に及んで背きたる事二度に及…
- p16…無し。彼に見ゆる鹿の角の立物の冑は眞田家に傳へたる物とて、父安房守讓り與へて候。重ねての軍には必ずきんずる物なれば見置きて賜り…
大久保忠隣忠直の事 卷之十八 · 1
- p01…ばせ給ふ事僻事にてこそ候へ。過ぎし年大軍にて攻めたりし時も、眞田が智勇に挫がれ候ひき。上田固くとも遂に攻落すべきを捨てて上ら…
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