酒勾川の役北條方大敗して退き、種々計議を凝せし末、大道寺駿河守の意見により、田島村の此方に地雷火を伏せ置き、敵兵の之に當り、周章て騷ぐ所を駈け立てんと計りける。斯くとは夢にも知らぬ武田勢、勝に乘りて潮の涌くが如く押行けるは、劔呑至極の事なりけり。然るに眞田昌幸田島村の方に當りて、陽氣炎々として日に映じけるを見て、偖は敵兵地雷火を伏せしと覺えたり、とて主將信玄と謀り、相摸川酒勾川の兩役に擒にしたる敵兵三百餘人の命を助けて返しけるを、北條方の松田大道寺は、すはこそ甲府勢落入りたり、と一聲の鐵炮を相圖に地雷火の口に火を移しければ、何かは以て堪るべき。大地より火焰と共に砂石を吹き上げ、四邊は一圓の火炎となりける程に、彼の者共は脫ぐる間も無く、面部手足の嫌なく焦爛らし、見る見るうちに三百餘人一人も殘らず燒死けるは憐と云ふも愚なり。遠く此の體を見たる松田大道寺は、小氣味よし、と手を拍つて笑ひ悅びつゝ、時分は能きぞ者共、甲府勢の燒殘りし者酒勾川へ迯落ちん間、一人も遁すな、と大道寺の下知に、一萬五千餘騎は曾我山を廻り、酒勾川を指して進みけるに、北條氏忠も亦同じく一萬五千餘騎にて、曾我山を廻りて德間井より進みければ、大將氏康父子大に悅び、今や信玄の首擊ちて來るならん、と舌打鳴して待ち居ける。此方は信玄此火の手を見るよりも、山縣三郞兵衞、馬場美濃守の兩人、其勢都合五千餘騎にて德間井に向はせ、眞田安房守昌幸、同舍弟隱岐守の兩人は、同じく其勢五千餘騎にて曾我山の押へとなし、雙方へ手分をしてぞ遣はしける。偖ても眞田昌幸は田島村の地雷火を難なく避け、却りて兩道より攻掛る手術をなして待ち居しに、松田尾張守、大道寺駿河守は斯る事とは露知らず、揉みに揉んで進む所に、思ひも寄らぬ松蔭に、雁金の旗二流風に靡かし、許多の軍勢整々と控へたるを、松田先陣に進み之を見て、味方には見馴ぬ紋なり、と怪む折柄、若武者一騎其の間近く進み寄り、高聲に呼びけるは、此の手へ向ひしは、北條方に智將と聞えたる松田殿と覺えたり。斯く申す某は、武田家に於て眞田一德齋が三男なる安房守昌幸なり。此度我々を小田原へ引き入れ給ふは、極めて良計有らんと存じ、先達て相摸川酒勾川の兩陣にて、擒にし置きたる北條方の諸卒を先陣に進ませ、地雷火の先駈致させたり。然るに因りて北條の方々此の火の手を見給はば、必ず此の道へ御出あらんと存じ、先刻より待ち受けしに遲かりし事哉。いざ昌幸松田殿へ見參に待ち受け、御馳走を振舞ひ申さん、と後の方を招きければ、數百挺の鐵炮一度に㗢と打掛けけるにぞ、松田勢は思ひ設けぬ事なれば大に敗れて走りける。